「卵は投げずに一緒に食べようね」、アンカラ大政治学部教授の名案
2010年12月09日付 Milliyet 紙


ゾングルダクにあるカラエルマス大学シェヒル・キャンパスのコンサートホールで行なわれた講演会は、学生たちの強い関心を集めた。ゾングルダク県エクレム・アユランチ副知事や教員らが出席した講演会で、ドウ・エルギル教授は、国家機関が良い働きをするためには各機関の独立性が必要だと語った。エルギル教授は、ある組織が他の組織の仕事に口を出すべきではないと語り、そのためには独立性を確保することが必須であると述べた。

■軍事行政裁判所ではない

しかしエルギル博士は、いかなる国家機関も完全には独立しえないと語り、次のように述べた:
「つまり、『私は社会を私の望むように形作ることができる。自分のルールを立てて、憲法に従わずに、自分自身の法に従って振舞うのだ』と言うことはできない。行政裁判所以外の、他の行政裁判所があってはならない。軍事行政裁判所があってはならないのだ。これは対になる法だ。国家の役目は、法の遵守、法を守ることだ。全市民のためという前提とは異なる法を作ろうとすれば、それは憲法の枠組みを外れることになる。そういう人々の耳を捕まえ、法に従わせるということはいつ起こるのか?市民の意思が一つになり、銃よりも強くなった時だ。つまり、社会が、国家の奴隷でなく、主人となった時だ。トルコはそういった段階にようやく来たばかりだ」

■人権と民主主義は互いに切り離せない

エルギル教授は、国家が有しているとされる行政、立法及び司法の間の分権・独立が必要であると主張し、「これは、民主主義において可能となることだ。人権とは、民主主義において成熟し守られることのできる権利なのだ。だから、人権と民主主義を互いに切り離すことは不可能だ。民主主義なしに、権利も法も、そして法治国家も保証されない」と語った。

■「スジュック入りの卵焼き」の名言が笑いを呼ぶ

1968年世代と記憶されているエルギル教授は、かつて学生の中にプロの革命家がいた、と語った。エルギル博士は、このため一部の学生が武器を所持してうろついていたと述べ、「さらには大学に入る時、彼らは、我々に身元を尋ねた。我々を知っていたが、教員に対しては身元を尋ねた。我々は、彼らに対して『ファシスト』などとは言わなかった。若者とは、このようなものだ」と語った。

エルギル教授は、このスピーチの後、「さてスジュック(トルコ風ソーセージ)は?」と言い、傍らのアシスタントからカンガル産スジュックを2本受け取って、ホールにいた観衆に見せた。エルギル教授は、「スジュック入り卵焼きはいらないかい?この場に卵を投げたい者がいたら、投げずに、一緒に食堂へ行こうじゃないか」と語った。ショーをしようとしたのではなく、学生を笑わせようとしたのだと語ったエルギル教授のこの名言は、ホールを笑いの渦に巻き込んだ。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:大久保はるか )
( 記事ID:20917 )