「悪魔のトライアングル」が存在した!?-カイセリ汚職もみ消し疑惑
2010年12月15日付 Hurriyet 紙
予算審議で議論を巻き起こしているカイセリでの不正疑惑を主張している共和人民党(CHP)カイセリ選出議員メフメト・シェヴキ・クルクルオール氏は、カイセリ広域市のメフメト・オズハセキ市長も関与しているこの事件が隠蔽されたと主張した。クルクルオール氏は捜査が再開しなければ告発するとし、「カイセリには司法機関・県庁・市の間に悪魔のトライアングルが存在している」と述べた。
予算審議で共和人民党のケマル・クルチダルオール党首とレジェプ・タイイプ・エルドアン首相の間で議論の的となっているカイセリのファイル問題に言及した共和人民党カイセリ選出議員メフメト・シェヴキ・クルクルオール氏は、捜査が再開しなければ何度でも新たに告発すると述べた。クルクルオール氏は日付の月の部分が「112」と書かれている文書を公表し、内務省のオスマン・ギュネシ事務次官をすぐ捜査するよう最高裁判所検事に訴えた。
■アルンチ副首相の返答は今日
クルクルオール氏は昨日議会でおこなった記者会見で、党のホームページでも公開された文書をメディアに配布し、メディアには渡さないと言っていたいくつかの文書にも言及した。ビュレント・アルンチ副首相はというと以前より知らせていた記者会見を、最初クルクルオール氏の会見後に延期し、その後また今日まで延期した。クルクルオール氏は記者会見で、カイセリのガソリンスタンド、民営バス、ドルムシュ(乗合タクシー)、タクシーの停留所や駐車場から金銭を集めていた組織が2007年に明るみにでており、カイセリ広域市のメフメト・オズハセキ市長も関与している事件が隠蔽されたと主張した。クルクルオール氏は次のように述べた。
■デニズフェネリ協会の設立者
「カイセリには司法機関・県庁・市の間に悪魔のトライアングルが存在しています。ヤクプ・エリケル氏は問題を隠蔽するためアンカラから任命された弁護士です。彼は長年にわたりビュレント・アルンチ副首相と彼の妻ミュネッヴェル・アルンチの顧問弁護士を務めていました。(AKP所属国会議員の)エゲメン・バウシュ氏の友人であり、(AKP所属元法相)サドゥッラー・エルギン氏の大学時代の友人であり、噂によればルームメートでもあったそうです。公正発展党(AKP)の政策委員会で講師を務めています。デニズフェネリ協会の7人の設立者のうちの1人です。アフメト・ギョクチェキと共に(サッカーチームの)アンカラスポルの幹部であり、首相府人権委員会のメンバーであり、アンカラ防衛委員会会長でもあります。昨年は『著名人』の掲示用広告を作成しました。ご存知の通り公正発展党にとって必要不可欠な人物なのです。
■刑務所に入った
ハジュ・アリ・ハムルジュは手袋の役割を果たした、つまり自分たちの手を汚さないため彼らが使った道具なのです。最終的に裁判の過程でこの人物は使い捨てられました。この少年はポケットに15リラしかない状態で刑務所へ入りました。ヤクプ・エリケル氏は『君は証言を変え、罪を全てかぶりなさい。そうすれば私が1ヶ月で君を刑務所から出してあげよう』と言っています。裁判所の記録ではエリケル氏がお金を調達し少年の借金を返済したと書かれています。刑務所でどうやってこのお金を工面することができるしょうか?このお金は市から支払われたに違いありません。
■副知事は左遷された
賄賂の疑いでオズハセキ市長の捜査を要求し、『許可を取る必要はない、すぐに訴訟を起こすのだ』と言っていたオスマン・ユルダクル副知事は、任期満了前に左遷されました。この文書を裏付ける追加報告書の記録は検察でも見つかっていません。検事はファイルを都合のいいよう改ざんするため県知事府へ2度書類を送っています。副知事も『主張が抽象的である』とし賄賂をもみ消したのです。」
一方でベシル・アタライ内務大臣は今日、共和人民党のケマル・クルチダルオール党首によるカイセリ広域市に対する主張に関し取り行われている内務省による調査に関する記者会見を、警察庁にて開く予定だ。
■ギュネシ事務次官はすぐに解任すべきだ
クルクルオール氏によるオスマン・ギュネシ事務次官に関する主張は次の通り。
「当時カイセリ知事であったオスマン・ギュネシは事務次官に任命され、その後12月4日に『ファイルに関する捜査の中止』という書類に署名しています。自分自身を守るため日付の部分を2007年112月4日と書いたのです。これは読む人に対し11月または12月と返答を変えるためです。12月4日にすればそのとき知事ではなかったと言い、11月4日にすれば報告書は存在していなかったことになります。オスマン・ギュネシ事務次官はすぐ解任すべきです。さらには12月4日に知事としてサインした文書に12月12日急いで事務次官として承認を与え、内務大臣にも承認を求めているのです。これはトルコ共和国の歴史の中で教訓とすべき出来事です。内務大臣は自分の部下が起こした隠蔽事件に利用され、加担したことになったのです。」
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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:20976 )