バイデミル市長、ディヤルバクルでジェムエヴィ建設を約束
2010年12月26日付 Milliyet 紙

ディヤルバクルのピール・スルタン・アブダル協会主催により、アシュレの日を祝う行事が行われた(訳注:ヒジュラ暦ムハッレム月10日。トルコでは豆や麦を入れた菓子を食べる。シーア派のアーシューラーに由来)。そこで挨拶をした弁護士のジャフェル・コルマン協会会長は、ディヤルバクル広域市市長を「アリ・オスマン・バイデミル」と紹介した。同会長は、平和民主党(BDP)所属のバイデミル市長に対し「アリ」という名前を与えたことを明らかにし、ジェムエヴィ建設を要請した。バイデミル市長もそれを受けて、「アリ・オスマンという名前は私が望んだものです。1月にはアリ・オスマン・ジェムエヴィの建設に着手します。来年中の完成を約束します」と述べた。

カプラン・デューン・サロンにて今日(26日)、ピール・スルタン・アブダル協会主催によってアシュレの日が祝われた。アシュレの日を祝う行事には、ディヤルバクル広域市市長オスマン・バイデミル氏やスル市長アブドゥッラー・デミルバシュ氏、ディヤルバクル弁護士協会会長エミン・アクタル氏、BDP県支部長ニジャド・ヤルク氏、そして各市民団体の代表者や県内各地から集まった約3千人のアレヴィーが参加した。

1993年7月2日にシヴァスのマドゥマク・ホテルにて亡くなった人々の写真が掲げられたサロンでは、デルスィム事件で生き延びた人々の映像やその当時セイト・ルザー氏がイギリス政府に送った手紙の朗読がスライドショーで流された。アレヴィーの詩と格言を皮切りにアシュレの日の開式の挨拶を行なったピール・スルタン・アブダル協会のジャフェル・コルマン会長は、アシュレの日の由緒について語った。

挨拶の後半でディヤルバクルにはジェムエヴィが無いと述べたコルマン会長は、オスマン・バイデミル・ディヤルバクル広域市市長を紹介する際、「アリ・オスマン・バイデミル(市長)」と発言したことは会場内を驚かせた。コルマン会長はなぜ「アリ・オスマン」と述べたかについて以下のように説明した。「市長にアリという名前をつけました。なぜならこれから建設されるジェムエヴィを、アリ・オスマンと名付けることが相応しいと判断したからです。このことは市長ご自身にも話しました。このことを認めていただけたことにも感謝しています。」同会長がこのように述べると、会場内から拍手が起きた。

■「アリ・オスマンという名前に値する人物になるつもりです」

(コルマン会長の挨拶が済んだ)後に壇上へ上がったオスマン・バイデミル・ディヤルバクル広域市市長は、クルド語とトルコ語であいさつをし、「アリ・オスマン」という名前の詳細について以下のように話した。「敬愛なる会長へ、私をアリ・オスマンと紹介していただき感謝しています。そもそもこれは私が望んだことでした。この名前に相応しい者となるつもりです。会長と協会の方々が私を招待してくださったときに、この名前を付けていただきたいと話しました。ありがたいことにみなさん賛成し、私に『私もあなたの名前の半分(アリ)のために、命を捧げます』と仰ってくれました。すべての方々に敬意を払います。(来年の)1月15日には『アリ・オスマン・ジェムエヴィ』の建設を開始します。モスクやマドラサは元々ありましたし、教会の修復作業も始めました。唯一足りないものがジェムエヴィでした。ジェムエヴィもできるだけ早く完成させ、2011年中にはみなさんが利用できるよう約束します。ともに仲良く頑張っていきましょう。」

オスマン・バイデミル市長の挨拶の後、ビスミル郡内のチュルクメン・ハジュ村でアレヴィーのデデを務めるハサン・バイクト氏とアシュレ祝う男女全員がアシュレの祈りを捧げた。祈りが済むと、ピール・スルタン・アブダル協会のジェム・チームもパフォーマンスを行った
アシュレの日のために20個の鍋で作られた5千人分のアシュレは、会場内の人々だけでなく、その外で待つ人々にも配られた。

注)アーシューラーとも。イスラム暦のムハッレム月10日の行事。4代カリフ・アリーの子フサインの殉教にちなむ。トルコでは、アシュレと呼ばれるお菓子を食べる習慣がある。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:21059 )