白熱する二言語・自治議論の中、ギュル大統領がディヤルバクルを訪問
2010年12月30日付 Hurriyet 紙
アブドゥッラー・ギュル大統領は、ディヤルバクルで熱狂を引き起こした。10年ぶりとなる大統領訪問を受けたディヤルバクルで、人々はギュル大統領を熱狂的に迎えた。ギュル大統領は、初めてディヤルバクル県知事府を訪問し、「ディヤルバクルの問題のためここに来た」と語った。県知事府の訪問後、ギュル大統領はディヤルバクル広域市に立ち寄った。ギュル大統領を広域市オスマン・バイデミル市長が歓迎した。ギュル大統領とバイデミル市長は、大統領随員とともにレッド・カーペットから出て、新聞記者たちの撮影にポーズをとったりした。ギュル大統領は、市庁舎の訪問中、広域市オスマン・バイデミル市長の椅子に座り、「この国の公用語はトルコ語だ。それは今後も続くだろう」と語った。
■ 熱狂的に迎えられた
アブドゥッラー・ギュル大統領は、二日間の日程でディヤルバクルを訪問し、トルコ語とクルド語で書かれた垂れ幕に見て取れる、人々の大きな興奮と歓迎で迎えられた。平和民主党(BDP)所属のオスマン・バイデミル広域市長は、「トルコの最大の問題はクルド問題だ」と述べ、ギュル大統領にトルコ語-クルド語辞典をプレゼントした。ギュル大統領は、「頂いた辞典は喜んでもらった。このことも、ここの社会的な現実問題だ。最近良く議論されているが、私は議論を正しい流れに置くことを望んでいる。トルコ共和国の公用語はトルコ語で、これは今後も変わらないだろう。国家の、公共の場での言葉はトルコ語だ」と語った。ギュル大統領は、トルコでは様々な言葉を話す国民がいると語り、「そういった人たちも全て同胞だ。我々が抱える多様性なのだ。共に前向きで想像力に富む形で、この国をさらに強固にするため、協力しようとしなくてはならない」と述べた。
ギュル大統領は、大統領就任後二回目のディヤルバクル訪問を行なった。ギュル大統領は、専用ジェット機でディヤルバクル空港に到着後、ディヤルバクル県知事府ムスタファ・トプラク知事、ディヤルバクル広域市オスマン・バイデミル市長や他の関係者によって迎えられた。ギュル大統領とバイデミル市長は、対面の際に親密な様子を見せた。ギュル大統領は、太鼓と笛の合奏に合わせた人々の民俗パフォーマンスを興味深く見学し、時折バイデミル市長が大統領にパフォーマンスと関わる説明をしている場面も見られた。
■ 歓迎の見世物
アブドゥッラー・ギュル大統領は、ボディガードを通じて太鼓打ちに100リラ(約5500円)のチップを渡した。今回のギュル大統領のディヤルバクル訪問には、ディヤルバクル出身のメフディ・エクレル農業村務相やムスタファ・イセン大統領府事務局長、公正発展党(AKP)アブドゥッラフマン・クルト議員、イフサン・アルスラン議員、オスマン・アスラン議員、クトベッティン・アルズ議員、そしてアリ・イフサン・メルダノール議員らが同行した。
ギュル大統領は、歓迎セレモニー後、エプロンの入口で小学生の出し物を見学、その後子供たちと記念写真を撮った。ギュル大統領は、空港の出口でカーネーションで迎えられた。ギュル大統領は、そうした人々の関心の高さに、車から降り、人々と会話を楽しんだ。その後、ギュル大統領は車に戻りディヤルバクル市内中心部に移動した。その移動中も、ギュル大統領への人々がとても歓迎していることが見て取れた。ギュル大統領も、人々の歓迎に手を振って応えた。
県知事府に向かう途中、BDPの党の本丸として有名なバーラル区を通る際も、人々はギュル大統領に熱い歓迎で迎えた。ギュル大統領の乗った公用車にカーネーションを投げた者のなかにはギュル大統領に手紙を渡そうと躍起になっている者もいた。厳重な警戒措置下にある県知事府を訪問したギュル大統領を、人々は手にトルコ国旗、「ディヤルバクルはあなた(ギュル大統領)を誇りに思っている」というスローガンと薔薇の花を投げて歓迎した。
県知事府の入口で、民族衣装を着た二人の子どもがギュル大統領に花束を贈呈した。ギュル大統領は、子供たちを抱き寄せ、少しの間雑談した。子ども二人のうち男の子の方が、ギュル大統領に手紙を渡した。ギュル大統領は、手紙をポケットに入れ、子どもの頬を優しく撫でた。ギュル大統領は、県知事府の前で待っていた人々と握手し、その後ムスタファ・トプラク知事のオフィスに向かった。
■ 「諸問題を実際に目にするためここに来た」
トプラク知事は、ギュル大統領にマラバディ橋、ウル・ジャーミー(モスク)、内城壁などの市の史跡が載っている2枚の写真をプレゼントした。ギュル大統領は、大統領就任後今回は二回目のディヤルバクル訪問だと語り、2010年の最後に叶った今回の訪問を長い間待ち望んでいたと述べた。ギュル大統領は、「この訪問を前から計画していた。今日、再びディヤルバクルを訪れることができて本当に嬉しい」と語り、以下のように続けた:
「ディヤルバクルの人々は、空港からずっと大きな興味、好意、愛情でもって私を迎えてくれた。私も愛情や好意を示したい。全てに心から感謝している。ディヤルバクルは、トルコの重要な県の一つだ。アナトリアのみならず、歴史的に中東全体の中心地と言っても過言でない、悠久の文明、交易、文化の中心地は、ここディヤルバクルである。今日もその重要性は変わらず続いている。
各県が発展を競い合っているこの時代に、ディヤルバクルが数多の課題や問題を抱えていることは否定のしようがない。私は、その全部を今一度自分の目で確かめるためここに来た。二日間ディヤルバクルに滞在し、過ごす。滞在中、知事と市長の両方からディヤルバクルに関する情報を得たり、説明を受けたり、大学を訪問したりしようと思う。ディヤルバクルに詳しい方々を訪問し、より詳しくここの問題を見たいと思う。そうすることを本当にうれしく思っている。」
ある新聞記者の「何かメッセージはありますか?」という質問に、ギュル大統領は、「ご存知のとおり(ここに)到着したばかりだ。これからきっと機会があるだろう。たくさんの話し合いを行なう予定だ。そうした際に、皆さんの待ち望んでいる私の意見、見解、今議論されているテーマについて私がどう考えているか、といったことを伝えることができるでしょう」と答えた。
ディヤルバクルで、ギュル大統領は、第7軍司令部も訪れた。ギュル大統領の今回の訪問のためディヤルバクルは厳戒安全体制を採り、訪問中、振動に反応する災害用Jammer装置が用いられた。
■ トルコ語とクルド語で書かれた垂れ幕
ディヤルバクル広域市当局は、ギュル大統領を、トルコ語とクルド語で迎えた。街のビルボードや垂れ幕には、トルコ語「Sayın Cumhurbaşkanımız kentimize hoş geldiniz(親愛なる我々の大統領、我々の街にようこそ)」と書かれた文字と、同じ意味のクルド語「Birez serokkomare Me Hun Bi Xer Hatin Bajareme」という言葉が書かれた。
アブドゥッラー・ギュル大統領は、その後広域市当局を訪問した。BDP所属のオスマン・バイデミル市長は、ギュル大統領を入口で、公用車に歩み寄って出迎えた。ギュル大統領とバイデミル市長は、当局の建物に続くレッド・カーペットの上を歩き、ドアのところでカメラマンの撮影に応じた。
■ ギュル大統領:トルコの公用語はトルコ語だ、これは今後も続くだろう
バイデミル市長は、ギュル大統領にトルコ語-クルド語辞典をプレゼントした。ギュル大統領は、「頂いた辞書は喜んで戴いた。このことも、ここの社会的な現実問題だ」と語った。ギュル大統領は、バイデミル市長の執務室で席につき、その後以下のように語った。
「最近盛んに議論がおこなわれている。議論を正しい流れに導くことを私は望んでいる。トルコ共和国の公用語はトルコ語だ。それは今後も変わらないだろう。さらに国の、公共の場での言葉はトルコ語だ。我々の共通の言葉だ。しかし、トルコ共和国国民のなかに様々な言葉を話す国民、地方があるのも事実だ。ここでクルド語を話す者がいるように、他の場所でアラビア語を話す国民がいる。数が少ないといっても非ムスリムの国民が話す言語も存在している。その全てが我々の言葉だ。全てが我々のものだ。実際に、憲法では文化的遺産を保護するという務めも記しているではないか。その一部は(過去の)文化遺産、一部は生きている遺産のことだ。したがって、これに基づいて、全てのことを全力で取り組むことが必要だ。以上に述べた全てを、多様性としてみることが必要だ。共に努力して前向きで創造力豊かに我々の国を強固にするため、全ての国民をあらゆる点から幸せな状態にするため、協力することが求められている。」
■ バイデミル市長は行政サービスについて説明した
ギュル大統領は、非公開でバイデミル市長と、市長室で約30分会談した。ギュル大統領が市当局を離れた後、バイデミル市長はギュル大統領と会談した内容を書面で明らかにした。バイデミル市長は、ギュル大統領に、「1万年の歴史があるメソポタミアの古代都市ディヤルバクルにようこそ。我々の都市は様々な文明を迎え入れ、異なる信仰や文化の相互作用を受けて独自の都市生活を生み出した。ディヤルバクルは、過去同様に、今日でも中東の重要な文化・科学・芸術・貿易・政治の中心である」と語った。
バイデミル市長は、トルコ共和国の建国期、トルコの最も重要な生産拠点のうちの一つがディヤルバクルであったが、その後、後退してしまったと述べ、次のように語った。
「特にここ30年に起きた衝突やこれに伴う強制移住が、この都市の生活に深刻なダメージを与えた。1990年には37万5千人だった人口が、今では100万になるほどだ。この状況は都市のインフラや行政サービスに、多くの問題をもたらした。これに対応する建設計画を行なった。今日ディヤルバクルは将来を見据える都市の一つだ。過去10年進めてきた試みの成果によって、都市の問題を、少しずつ解決に持っていくことができた。例えば、市民の健康について、改善が行なわれた。16ある広域市のなかで最も安く水道水を市民に届けていることを誇りに思っている。そして、ディヤルバクルで舗装されていない道路や下水が整備されていない家はない。環境と交通の問題で行政サービスは人々の評価を得ている。シュメルパルク共同生活区域には、女性・児童・障害者支援センターを設置し、これは(村や山岳部からの)移住者を受け入れた都市の手本とされている。職業訓練センターで若者に雇用を保証する職業訓練も行なっている。タリヒ・オンギョズル橋の交通量緩和のためメルヴァニ橋を建設し、ジェミル・パシャ邸をディヤルバクル博物館に改装中だ。トルコのエネルギー政策に基づいて作られた太陽の家は、代替エネルギーの点で先例となるもので、他の都市の手本となっている。」
バイデミル市長は、ディヤルバクルのディジュレ(チグリス)川に対する重荷をゼロにする重要な試みを、ディヤルバクル水道・下水管理局(DISKI)が2011年に開始すると述べ、以下のように語った。
「汚水浄化場に加えてバイオ浄化場の建設を始める。60キロメートルに及ぶ雨水・排水システムによって重要な問題の一つを克服しようと計画している。 DISKIは過去5年間国内や世界の舞台で信用を勝ち取っており、我々の地域でも絶えず新規の試みをおこなう組織となった。水の管理には、社会(福祉)的国家の基本方針に沿って新しい法整備が必要で、そうした提案が書かれたファイルをあなた(ギュル大統領)にプレゼントしたい。街の行政サービスと発展について、中央政府が負うべき2つの基幹ニーズに注目してほしい。我々の都市には現在周囲から中心部につなぐ道路がない。こうした道路は、地域の経済や貿易の観点から重要なメリットを生むだろうし、街の中の移動を便利にもするだろう。国際的な民間空港は、ディヤルバクルや地域を色々な点から世界に開くゲートになるだろう。」
■ 城壁のための援助が欲しい
バイデミル市長は、ギュル大統領に、ディヤルバクル城壁の早急な修復、ユネスコの世界遺産リストに載せる件に関して援助を求めた。バイデミル市長は、以下のように述べた:
「ディヤルバクルの社会・経済構造に影響を与えるチグリス渓谷計画の第1段階が始まった。フィスカヤ瀑布が以前同様に再度流れることになるだろう。しかしチグリス渓谷計画の成功のため、大学を筆頭に、他の機構や組織が共同して取り組む必要がある。我々ディヤルバクル広域市は中央政府をはじめとして組織や地域の力で共同して取り組むことに、前向きである。」
(後略)
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:大久保はるか )
( 記事ID:21090 )