■軍と解決
2011年02月02日付『ハヤート』紙(イギリス)HP論説欄
【寄稿:アブドゥッラー・イスカンダル】
政権と市民の間に大きな断絶が生じて以来、エジプトでは軍に注目が集まっている。政権と市民の力比べがいかなる性質のものであれ、またデモ隊が掲げている要求がいかなる性質のものであれ、軍の立場および軍がどのような解決を考えているかに結果はかかっている。
ここで問題となるのは、エジプトでは軍が半世紀以上にわたって政権を支える柱であり、実際の武力を保持しているというだけでなく、根本的に軍は社会の全般にわたって利権をむさぼっている経済勢力だということだ。そのために軍は、合法・非合法を問わず市民的な諸政党や組織が表明している思想的立場を越えた利権を握る社会集団を形成しているのだ。
それどころか、政治的に、抗議運動の方向性に実際的かつ決定的な影響を及ぼしうる勢力はエジプトには二つしかないと言えよう。それはムスリム同胞団と軍である。これは必ずしも両勢力間で決戦が行われるであろうことを意味しない。ただ、それぞれが今の動向に大きな影響力を持っているということだ。
つまり、主要なプレーヤーは軍と同胞団に絞られるのであり、その理由は、社会構造と有機的に結びつく生産的な経済プロセスを通じたメンバー間での利益の共有によって成り立つ政治集団が存在しないことにある。
若干の産業と富裕層の農地を除けば、エジプトでは国家が第一の、主要な雇用主とみなされる。それは同時に国家で働く人々の政治的な意見表明を寡占し、与党という枠の中に押し込めることを意味してきた。
そして国家がこの肥大化した公務員機構を動かすにあたって拠り所としているのは、海外からの直接援助と観光に依存したレンティア経済であり、この海外援助と観光こそ、あらゆる種類の汚職の温床となっている。エジプトで言うところの『実業家セクター』とは、富の蓄積につながる経済サイクルから外れた手っ取り早い儲けにしか興味のない、このレンティア経済を意味しているにすぎず、それはもはや、公共セクターにこうした経済サイクルを再び稼働させて国家に収益をもたらすかわりに、政策決定者と「太った猫」と呼ばれる階層とのパトロン-クライアント関係の枠内で公金を組織的に略奪する行為と同義になっている。
国営企業の民営化が進められたときにも、何十億にも上る海外援助は毎年何十万という数で労働市場に参入してくる人々に雇用機会を保証するような形で経済を立て直す計画には反映されず、民間に移された利益は『実業家』層のポケットに入り、貧しい人はもっと貧しく、金持ちはより金持ちになった。
民衆デモが政権に譲歩を迫る構図が見えてくると、つい昨日まで政権にべったりだった実業家たちの国外逃亡が報じられ始めた。つまり、この実業家層というのは政権のレント(不労所得)に寄生し、市民社会とはいかなる有機的なつながりも持たない連中であったということだ。
その一方で様々な公認野党は政権に風穴をあけることが出来なかった。それは政権によって脇に追い詰められていたからというだけでなく、市民社会を代弁することが出来ない彼ら自身の力不足のためでもあった。かつてムスリム同胞団がその一部をイデオロギーに基づいて動員することに成功した市民社会は今や、実行力のあるオルタナティブな指導部を欠いているように見える。
現在進行中の政治的な策動は、結束した市民勢力の不在を示しており、それが人々に軍への期待を抱かせることにつながっている。だが、今の窮地からの脱出をまたしても軍に任せるような解決に行きつくとするならば、彼らの期待は遅かれ早かれ、以前と同じ現実にぶち当たる事になるだろう。その可能性はすでに地平線上に見えてきている。
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:21320 )