エジプト革命の星、ワーイル・グナイム
2011年02月09日付 al-Quds al-Arabi 紙
■ワーイル・グナイム、普通の青年がエジプト革命の星になった
2011年02月09日付『クドゥス・アラビー』
【カイロ】
グーグル社の中東・北アフリカ地域マーケティング責任者のワーイル・グナイム氏は、フェイスブック上のページを通じてムバーラク大統領に反対する数十万人を集めることに成功したことで、エジプトの多くの若者に崇拝される存在になった。
ワーイル(37歳)は浅黒くハンサムな若者で、そのまなざしは眼鏡越しに知性の輝きを放っており、彼に知識人の風貌を与えている。彼はフェイスブック上に「僕たちはみんなハーリド・サイードだ(We are all Khaled Said)」というページを立ち上げた。ハーリド・サイードは昨年の夏、アレキサンドリアのインターネットカフェから警官に引きずり出され、公道で殴り殺された若者の名で、この事件は激しい怒りの波を掻き立てた。
30年も政権の座にあるムバーラク大統領(82歳)の政権を数百万の若者たちが拒否し、チュニジアでは大衆蜂起が起きるという事態を受けて、ワーイル・グナイムのページはムバーラク政権の打倒を訴えて1月25日に通りに出るよう呼びかけた。そしてインターネット世代の若者たちはこの呼びかけに、米大統領選挙期間中にバラク・オバマが使ったあの有名なセリフ、「Yes, we can」を想起した。
ワーイル・グナイムは妻と共に職場のあるドバイに住んでいたが、ムバーラク退陣を求めた最初の大規模デモの前にカイロに帰国した。その二日後、彼は拘束されて国家保安捜査総局(マバーヒス)に引き渡され、12日間、尋問を受けた。そのうち11日間は目隠しをされ、外で起きていることについては一切知らされず、家族も彼について何もわからなかった。それは彼が「海外のアジェンダ(行動計画)」に従って行動しているのではとの容疑をかけられたためだった。
月曜の晩に釈放されたワーイルは火曜日、治安部隊との間に流血の衝突が起きて以来、ムバーラク政権に抗議する人々の拠点と化したカイロ中心部のタハリール広場に、英雄のように迎えられた。このスターが到着する前、デモに参加していたある青年は「みんなが待っていたワーイルを見たくてここに来たんだ」と話していた。
ワーイル・グナイムが到着するとデモ隊は熱い拍手で彼を迎え、涙を流しながら「エジプト万歳、エジプト万歳」と繰り返した。また、「民衆は政権打倒を求めている」「民衆は大統領打倒を求めている」というスローガンも上がった。
ワーイル・グナイムはデモ隊にこう語りかけた。「僕は英雄じゃない、この広場に踏みとどまった皆さんこそ英雄だ」「要求を止めちゃいけない。亡くなった人たちのために、僕たちの要求を訴え続けなきゃいけないんだ」。
また広場で開かれた記者会見では、国際的な報道機関の記者たちに対し英語で「ムスリム同胞団がデモを組織したんじゃない」と語り、こう続けた。「僕たちはみんなフェイスブックの若者たちだ」「これをフェイスブックの革命と呼びたいけど、この人たちを目にした今では、エジプト民衆の革命と呼びたい。本当に驚くべきことだ」「エジプト人はもっとましな暮らしに値する。今日、僕たちの夢の一つは実現した。それは自分たちが信じるもののために共に集まり、一つの手になることだ」。
ワーイル・グナイムは釈放から3時間もしないうちに民放のドリーム2チャンネルに登場した。デモに対する治安部隊の鎮圧によって犠牲になった男女の若者たちの写真が画面に映し出されるとワーイルは涙を流し、彼と一緒に数百万のエジプト人が涙を流して新たな怒りに火を付けた。ワーイルはむせびながら「息子や娘を失った全ての母と父へ…誓ってこれは僕らの過ちじゃない。地位にしがみついて手離そうとしない連中の過ちだ」と語り、ムバーラク大統領とその政権の責任者たちを示唆した。
釈放前、フェイスブック上のワーイルのページには9万人が登録していたが、今では22万人以上に増えている。ワーイルはカイロ大学工学部でコンピューター工学を学んだ後、カイロ・アメリカン大学で経営学修士を取得した。
政権側は野党と「国民対話」を始めたが、タハリール広場の若者たちは参加を拒否している。また彼らは今のところ指導部を持っていない。
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:21434 )