コラム:偉大なエジプト国民に感謝を
2011年02月11日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ 偉大なエジプト国民に感謝を

2011年02月11日『クドゥス・アラビー』

【アブドゥルバーリー・アトワーン】

スライマーン少将がムバーラク「元」大統領の辞任決定とエジプト軍最高評議会の権限掌握を宣言した。これまでに聞いた最高のスピーチだった。そして、副大統領への権限移譲を告げた一昨日(9日)の大統領による最後のスピーチは最悪だった。12ワードに満たない前者は、世界中のアラブ3億5千万人と15億のムスリムを狂喜させた。独裁者が失脚し民主的変革が始まるこの歴史的瞬間を皆待っていたのだ。

ムバーラク大統領は望んでいたやり方では退陣を果たさなかった。中東域内の他の独裁者たちが大統領に対する多額の金銭的援助を申し出、同時に米政権が支援を停止すると、革命勢力の前に任期終了までの留任を主張することはなくなった。大統領の最後のスピーチは欺瞞に満ち、何が起きているのか理解できなくなった硬化した心境を露呈していた。もちろん、国民の要請を正しく受け止めることもできない。もしわたしがスピーチ草稿起案者なら、エジプト国民に謝罪し、腰を低くして許しを求めるよう大統領に進言しただろう。すい臓がんに侵され余命いくばくもなく、最後の日々を祖国で過ごしたいのだと主張するようアドバイスする。

大統領が人生に別れを告げる前にエジプト国民に別れの挨拶をしてくれればいいと思っていた。国民の汗から絞り取った億単位の資産を全て寄付し、エジプトの債務返済や、病院・学校の建設、雇用を生み出す投資計画などに使ってくれと言い残して。しかし彼はそれをしなかった。つまりアッラーが彼に屈辱的でみじめな最後を望まれたのだ。大統領は盲目となり洞察力を失い、「彼らは策謀したが、アッラーもまた計略をめぐらせていた。本当にアッラーは最も優れた計略者であられる」[戦利品章:30]というアッラーの真実も見えなくなった。

エジプト国民は奇跡を起こした。第3世界で最も強圧的な抑圧機構に対し一歩も引かぬ決意で対峙し、独裁政権を放逐した。

ムバーラク政権崩壊は、ひとつの段階の完全な終焉である。穏健派枢軸の崩壊ともいう。それは、キャンプデービッド、ならびにアラブ・ムスリムにとって屈辱的なあらゆるその補遺の撤廃を意味する。それはまた、アラブ政権を屈服させ、和平を乞う真似をさせパレスチナについて譲歩させてきたイスラエルの傲慢にも終わりを告げる。

この恩寵ともいうべき国民革命は、エジプトを自身の元へ取り戻し、同時に全アラブの元へも回帰させた。域内勢力均衡の中で基本的役割を演じる主導的な国家として。そして、アラブ・イスラーム共同体の尊厳を回復し、諸国民の共同体の中に場所を得ようとするアラブの大志にも新たな段階が訪れる。1952年の7月革命後に起きたように。軍が主導した7月革命は、国民に支持されて封建的制度から国民を解放した。その返礼とでもいうように、1月25日革命は国民が蜂起し軍がそれを守った。

イスラエル侵攻が起きるたび戦い抜いてきたエジプト国軍が、域内の戦略的均衡の実現を要請し、アラブ・イスラーム共同体の大義を防衛し、米イスラエルの企てを擁護してきた独裁政権との戦いでアラブ国民を支援している。

人々は、改革で手をうったり自制したりすべきではない。独裁政権は改革で正されるものではなく、廃止する以外に道はない。国民に不正をなし自由と資産を奪ったものが政権にいるべきではない。国民の手で法廷へ送られ、彼らの苦しみの対価を清算すべきである。

独裁放逐に祝辞を降らす人々がたがいに囁き合うのは、エジプトの兄弟たちから革命の旗を受け取るのは、何処の国民だろうかということだ。若者たちの前に降伏する3番目のアラブ独裁君主は誰だろうか。

エジプト革命のはじめから、国民の意思が最強のものだと我々は述べてきた。そして若者たちは音を上げなかった。彼らは正当な権利の要求者であり、あらゆる権限の源であるからだ。したがってその勝利は我々にとって意外ではない。「委員会」と称する人々や日和見主義者、ムバーラク後を恐れるアラブ政権などがエジプト国民に策謀をめぐらすのを見て、心配はしていたが。

偉大なるエジプト国民、タハリールと全エジプトの広場の若者たちを育んだ清浄なエジプトの母たち、国民の大義の側にたち虚言とごまかしを拒絶したエジプトのジャーナリストたち。我々の尊厳を回復し、リーダーシップに満ちた気高く愛しいエジプトを取り戻してくれたあなたがた皆に感謝してやまない。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:21462 )