■ エジプト情勢の伝染
2011年02月11日付『アル=ナハール』紙(レバノン)
【ラーシド・ファーイド】
エジプトの革命に欠けているものが三つある。「パレスチナ」と「宗教的傾向」と「アラブの統一」である。それは恥ずべきことではない。エジプトで掲げられたスローガンは根本的な変革の道を拓くものである。その変革が達成されるとき、アラブ諸国、周辺地域、イスラム世界に中心的な位置を占める国家としてのエジプトの進むべき方向性が明らかになるだろう。
しかしながらアラブ人の一部では、スエズ運河国有化の時代の遺物や、掛け声だけのアラブ統一を叫び、イスラエルに拳を振り上げて威嚇していた頃の感覚を未だに捨て切れない連中が声を張り上げて、今回の革命はシオニズムと対決する理念の不在に起因すると主張している。またテヘランでは「イスラーム的な中東」の誕生を予言する声が上がっている。そのようなものを予見しているのは、イラン革命の最高指導者たるハメネイ師くらいなのだが。
エジプトやチュニジアの国民の怒りが物語っているのは、パレスチナ解放という口実の下に自由を制限する時代はもう終わった、ということなのだ。そして、戦争が起こる気配もなく、多少の込み入った事情で遅れている和議が秘かに待望されている以上、「戦場の雄叫び」をかき消して叫ばれてもよい言葉が存在する、ということなのだ。
アラブの全ての民衆が沈黙や叫びを通して語っているのは、「パレスチナ解放の後に自由と、民主主義と、尊厳ある暮らしが実現される」という約束が、もはや忍耐の限界に達した人々にとっては、行動の意思なき者の約束に過ぎないことが明らかになったということだ。さもなければ何故、イスラエルとの合意が公然あるいは非公然に締結され、一部の者に到っては堂々とそれに向けて奔走しているのか?
1950年代初めには、「統一と自由と社会主義」なる大衆の夢を実現するというスローガンの下に、軍事クーデタが繰り返された。統治体制や社会構造をめぐる王制との対決を標榜する共和主義体制が生まれたが、やがてそれは実質的には、大統領が領土とそこに存在する全ての物を所有する永遠の独裁体制へと変貌した。大統領には、生命ある限り自分自身の後継者として再任され続ける権利が与えられ、その論理は21世紀に入ると、一族による世襲体制の基盤をなすに到った。まさにそのことによって、エジプト国民はついに堪忍袋の緒を切らしたのである。
エジプトでの出来事に関して確かなことは、エジプトの戦略的な位置とその役割があらためて確認されたということである。エジプトで起きる出来事は、エジプトを取り巻くアラブ世界に影響を及ぼすということだ。さもなければ、アラブ諸国体制の一部で国民に対する尊大で不遜な態度が萎縮し始めているのはどういう訳か?イエメンでは大統領が早々と再任を求めるつもりはない等といった譲歩の意向を表明し、イラク首相は自らの給与を半額削減するとともに、次期の内閣で首班を務める意図が一切ないことを明らかにした。その他にも多数の事例があり、エジプトの事態が伝染してくる前に機先を制するべく、反政府勢力との対話を開始せざるを得なくなっている。
エジプト情勢が伝染してくる可能性ゆえにその他のアラブ諸国体制は、アラブ諸国民の感情や伝統や社会的特性や将来の展望における一体性を標榜してきた言説を否定して、「それぞれの独自性をもったアラブ諸社会」なる理論を展開し始めている。そうすれば、一つの駒が倒れれば他の駒も次々に倒れるというドミノ理論は通用するまいというわけだ。しかしこの伝染病は、治療を受けつける類のものではなさそうだ。
(後略)
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:森晋太郎 )
( 記事ID:21465 )