Metin Münirコラム:キプロスは別の国、同じトルコ人ではない
2011年02月12日付 Milliyet 紙

トルコも、北キプロス・トルコ共和国(KKTC)もそれなりに知っている記者として長い間不思議に思っていることは、これほど近いこの二国がお互いを何故これほどまでに理解しておらず、また、お互いを知らないのかということである。

市民の間にお互いについての偽りや誤り、不十分な情報が氾濫しているというだけではない。双方の政治家や官僚までもが、この無知のなかを浮遊している。残念なことに、いくつかの例外を除いて、新聞記者もこの無知なるもののカテゴリーに含まれる。トルコメディア各社のキプロス特派員たちは特に罪作りである。すべて当たり障りのない記事を書いている。こうした者たちの中からかの地のことを、まじめに伝える者など出てこない。先週レフコシャで行われ、トルコで反発をかった集会は、この相互の無知を改めて思い知るきっかけとなった。

エルドアン首相の怒りの最初の反発には、誤った情報も含まれていた。キプロスで10000リラ(約55万円)を得ている公務員もいなければ、集会がギリシャ側キプロスの支援の下行われたわけではない。つまり、エルドアン首相の近くに彼にキプロスについて正しい情報を与える人間がいないということだ。これは真に由々しき事態である。

■トルコ国旗がなかった

私が思うに、エルドアン首相がその後、懐柔的な発言を行ったのは、(キプロスの人々に対し)きつい表現を用いたことを後悔したからだけでなく、本当のことを知ったからでもある。キプロスを担当しているのは、ジェミル・チチェキ国務大臣であるが、私がみたところ彼はキプロス人を嫌っている。
先日、チチェキ国務大臣は我々の友人であるフィクレト・ビラ氏と話し、以前に他の人に語ったことを繰り返した。集会で「KKTCとトルコの国旗はなかった。しかし、ギリシャ人たちの旗はあった」と述べた。「ギリシャ人の旗」などというものはないのに、どうしてそう言えるのだろうか?

KKTCは、いろいろな問題があるにもかかわらず、トルコよりさらに民主化しており、平均的キプロス(・トルコ)人は、平均的トルコ人より穏健派やリベラルであり、より世界に開いている。こういった理由でトルコではありえないことがここではありえる。発言してはならないようなことも発言される。それらはここでは禁しされていないのである。

検察に調べろと命令するのは、エルドアン首相にとっては日常茶飯事のこととなっている。キプロスでの集会で気に入らないプラカードを掲げている人々にも同じ呼びかけを行った。しかし、彼に耳を貸す人々はいないだろう。ここでの憲法、司法システムそして法秩序はトルコとは別である。その地のことをトルコの天秤で量ることは誤りである。そこは他の国である、そしてそこに住むトルコ人は、我々とは別のトルコ人である。

結局キプロスでの状況を最もよく理解する必要があるのは公正発展党(AKP)である。なぜなら、キプロスは、ちょうどトルコがそうであるように、視野を変え、司法や組織を刷新し、後見人(トルコ共和国)の手から離れることを必要としているからである。

(トルコと)違うのは、KKTCの変化が10年遅れていること。KKTCが改革の必要性を理解していないこと、もしくは理解したがらないことである。そして、違いは、AKPを含むトルコも、これを理解していないということである。

AKP(公正・発展党)は徐々にキプロスに対し、植民地支配のような扱いを強めている。そしてかの地の住民に対し無礼なことをしている。この態度を変えることを進言したい。なぜなら市民の怒りはトルコで感じられるものよりはるかに深刻である。そして、その結末は思っている以上に致命的なものとなりうるからだ。

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( 翻訳者:入口 愛 )
( 記事ID:21474 )