アハラーム紙から国民へ謝罪
2011年02月14日付 Al-Ahram 紙

■アハラーム社説:国民のために

2011年02月14日付『アル=アハラーム』

諸国民の歴史における重要な変革の瞬間にあっては、バランスを失う者もいれば、視野や洞察を失う場合もある。若者たちの1月25日革命が勃発し、変革が始まった当初、アハラーム紙は轟くような変化のメッセージを理解することができなかった。

エジプトの安定した巨大組織の例に漏れず、見解をめぐって内紛が起き、エジプト史上稀な瞬間をどう取り扱うべきなのかについて激しい意見対立が生じた。アハラーム内部で起きていたのは安定と変化の間の争いではない。それは、新たな時代に属する現代的な見解と、崩壊しつつある時代と体制に固執する見解との間のより激烈な争いだったのだ。アハラーム内部の啓蒙的知性と活き活きとした良心とは、自由と正義と民主主義を擁護するその他の勢力同様、国民の意志こそが勝利すべきであると認識していた。そして実際にその通りになったのだ。

それゆえアハラーム紙は、若者たちの革命と国民と革命の一体化、国民の活力から受けた圧力のお陰で、エジプト国民という真の所有者のもとに回帰することが出来た。そして今日、いまだ事態は最高潮にあり、様々な夢が力強く語られている段階ではあるが、正真正銘のエジプト国民のみなさんに対し、腐敗した政権へのこれまでの偏向について謝罪せねばならない。また我々は常に国民の正当な要求の側に立ち、この国の良心であり続けることを約束する。

また我々は、後進的で高圧的な勢力に打ち勝った[デモの犠牲者たちの]清らかな血に対する我々の誇りを記録にとどめ、犠牲者の遺族に赦しを乞うものである。なぜならば、いかなる我々の貢献も、[彼らの]血の一滴にも及ばないからだ。彼らが命を差し出したことで、この国が頭をもたげ、誇りに満ちて生きられるようになったということだけが、我々の唯一の慰めである。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:21513 )