エジプト革命、コプト教徒とイスラム教徒を一つに
2011年02月19日付 al-Quds al-Arabi 紙
■エジプト革命、イスラム教徒とキリスト教徒を一つに
2011年02月19日『クドゥス・アラビー』
【カイロ】
先週金曜(11日)ムバーラク(前)大統領を辞任に追い込んだ統一という精神は、同国のイスラム教徒とコプト教徒間の緊張を鎮めるとともに、両者の恒久的な協調への希望を後押しした。カイロ中心部のタハリール広場での抗議活動中、ムスリムとキリスト教徒は礼拝の間、手を取り合って、治安部隊からお互いを守る人間の盾を作って立っていたのである。
デモ参加者らは、ムバラーク辞任と非常事態宣言解除を求めたプラカードだけでなく、エジプト国旗の上に十字架と三日月を共に描いたプラカードも掲げていた。
国際ウラマー連盟会長のユースフ・アル=カラダーウィー師は、金曜日にタハリール広場で説教を行い、数百万の礼拝者に向かって「エジプトはこの革命で勝利し、さらに宗派主義と呼ばれるものに打ち勝ったのだ」と語りかけ、次のように続けた。
「この広場、1月25日殉教者広場(タハリール広場)では、キリスト教徒がムスリムと隣り合って立っていた……この忌まわしい宗派主義は終わったのだ。」
一方、エジプトの総人口7900万人の1割を占めるコプト教徒の中には、異なる宗教間を統一し過去の傷を癒すためにはこのような現象以上のことが必要とされてくるだろうとの見解を示す人々もいる。
観光分野で働く20代後半のマーリーは、「将来起こるかもしれないことに、まだ恐怖を感じる……コプト教徒が自由に生活し、平等に扱われるという保証が、もっと必要だと思う」と語った。
一方、前向きな変化を実際に目にしたと言うコプト教徒もいる。イスラム教とコプト教双方の指導者らは、2つの宗教の協調を確固たるものにしようと尽力してきた。しかし、土地、宗派間の恋愛、教会建設許可などを巡る争いが原因で、時として、宗派間の緊張関係が暴力沙汰に変わることもある。
昨年は宗派に起因する暴力事件が多発した。1月には、走行中の車に発砲され、教会前でキリスト教徒6名とムスリム警官1名が死亡、それに続く抗議活動で家屋や商店が放火された。3月には北部で土地を巡る争いから騒乱が起き、27名が逮捕された。
11月には、ギザで教会建設停止決定に抗議するキリスト教徒数百名と警察の間で乱闘がおき、ムスリム数十名もそれに加わった。
今年1月には、23人が犠牲となったアレキサンドリアの二聖人の教会爆破事件に抗議するキリスト教徒数百名が通りへ繰り出し、警察は対応として催涙ガスを用いた。
アレキサンドリア事件の後、治安当局はエジプト各地の教会の警護を強化していたが、キリスト教徒によれば、反ムバーラク抗議活動以降、増員された警備員の多くは引き揚げた。
また、シナイ半島で2つの教会が攻撃されたが、長年キリスト教徒の権利防衛に携わって来た弁護士ビーテル・アンナッジャールによれば、事件は宗教を動機としたものではなく、散発的な強盗行為の一環であった。
社会学者ナッジャード・アル=バルイーは、エジプト社会における宗教的過激派の増加は、政府による抑圧と貧困が原因と糾弾し、「民主主義が解決策である。平和な民主体制が適用されれば、あらゆる狂信的行為はすぐにすたれる」と述べた。
失業中で11月のギザでの抗議に参加したミドハト・マラーク(32歳)は、ムスリムからより多くの共感を得られるようになったとして、次のように述べた。
「ムスリムに対して、もう以前と同じようには感じなくなった。周りのエジプト国民皆が、敬意を持ってふさわしい形で自分を扱ってくれていると思う。」
しかし、「昨日、手続きをしに行ったら、役人が顔に書類を投げつけた。これは良くない扱いだね」と述べて、政府役人の中には例外もいることを示唆した。
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:中島希 )
( 記事ID:21569 )