ヒュッリエット紙コラミスト、ソネル・ヤルチュン雇用の経緯―エルゲネコン逮捕
2011年02月16日付 Hurriyet 紙

ムラト・バルダクチュがヒュッリエット紙を辞職した後、彼が書いていた欄は白紙のままだった。

ムラトは毎週日曜日にそこで数々の傑作を作り出していた。
ヒュッリエット紙の彼の担当欄は、トルコの通俗的な歴史に対するひとつのエポックのようだった。
誰もが、私たちが彼の代わりに他の著名な歴史家を起用するだろうと予想していた。
しかし私は全くそう考えていなかった。ムラトの穴を埋めるのは不可能だったからだ。
誰を起用しても、皆ムラト・バルダクチュの書いたものと比較され、彼には敵わなかっただろう。
このために、私は欄のコンセプトの変更を決めたのだ。
仕事を完璧に成し遂げる、そしてムラト・バルダクチュとは違う路線の人材を見つけなければならなかった。

***

その頃、私の頭に浮かんだのがソネル・ヤルチュンだった。
彼に連絡して、この欄を書いてくれるよう依頼した。
彼は承諾してくれた。
私に一番に連絡してくれたのは故ウフク・ギュルデミル氏だった。
彼は「素晴らしく的を得た決断をしましたね。おめでとうございます」と言ってくれた。ソネルは、ウフク氏が最も好いた新聞記者の一人だった。彼らは長年一緒に仕事をし、素晴らしい成功をおさめていた。
後になって知ったが、ソネルは私と話した後、ウフク氏に連絡して意見を求めたそうだ。
ウフク氏は「早く承諾しなさい。エルトゥールルとはまさにこういうことなのだ」と言ったらしい。
ソネルは働き始めたその日から、彼の才能と違いを見せてくれた。
ムラトが新しい場所で、またとても素晴らしい仕事を続けている一方で、ソネルは完全に違うコンセプトを身につけながら、次々に素晴らしいポートレートや事件などの記事を書いた。
そしてヒュッリエット紙でとても熱心な読者を獲得したのだ。

***

私の携帯電話にソネルが家宅捜査を受けているという情報が入った時、私はパリでワールド・エディター・フォーラム(WEF)の運営委員会議に出席していた。
私はこの事をすぐに会議で報告した。
すると、その場の空気は凍りついた。
そして、今秋ウィーンで開催される会議で、「報道の自由における新しい脅威」を取り上げるパネルの設置案が出された。
Odatvへの警察の圧力と4名の記者が逮捕されたことは、この仕事においてまだ良心を持っている者全員に深い影響を与えた。
自由という観点からもともと問題があった我が国の姿が、さらに悪化したということになる。
私はソネルのため、そして我々の職業の名においてこの逮捕をとても悲しく思った。
この事件について書かれた諸記事を見て、次のことが分かった。
同職者で良心を完全に失った者の数は、思ったほど多くなかった。
しかし数は少なかったにしても、彼らが持つ憎悪は非常に巨大であり、それは私を恐怖させた。

■全員白馬に乗って行ってしまった

RTÜK(ラジオ・テレビ高等委員会)法が議会を通過する際、川岸で座っていた私は何気なく立ち上がった。
水が流れて来る方に、10年前に私は目を向けた。
あのひどく憤慨した友人や、口先ばかりの「ラジオ・テレビの自由のチャンピオン」を思い出した。
彼らは何と言っていた?
ラジオ・テレビ局のオーナーはほかの仕事をするべきではない。公共事業の入札に加わるべきではない。黒幕であり続けるがいいだろう、と。
ほかには何と言っていた?
RTÜK(ラジオ・テレビ高等委員会)法の改正内容はすべてアイドゥン・ドアンに都合が良い、と。
それから何と言っていた?
外国人の取り分が増えないようにしよう、と。
今度は私が彼らに尋ねよう。
何だったんだ、あの虚勢は、空威張りは、醜い罵りは。
彼らが行った中傷や侮辱は。
テレビであたかも表現の自由を守っているかのように見せかけながら、憎しみをぶつけた様は。
RTÜK(ラジオ・テレビ高等委員会)法が一夜にして変わっていると言うのに、彼らはまるで知らん顔だ。
今や彼ら全員がこの国屈指の実業家のテレビ局で働いている有様だ。
エネルギー事業の入札、民営化を伴うあらゆる入札が盛んに行われている。
不思議に思う、あの良く響く太い声はどこへ行ってしまったのか。
ひょっとして全員が白馬に乗って行ってしまったのだろうか。
言っているだろう、
川岸は良い。
法律、道徳、理性あるところでは、川岸はいつか必ず「正義ある神聖な庭園」になる。
川岸で心を落ち着かせ座れば、過去の不正がいかに洗い流されていたか分かるだろう。
これはあなたに、今日の不正と不道徳を耐える力を授けるだろう。

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( 翻訳者:智原幸穂 )
( 記事ID:21587 )