シャンルウルファで「血の復讐」、2家族で死傷事件
2011年02月23日付 Milliyet 紙

シャンルウルファで、バスターミナルで(兵役に出発する)兵士の見送りの後村に戻ったある一家と、彼らと「血の復讐」の関係にある別の一家が鉢合わせし、喧嘩が起きた。狩猟ライフルを使っての騒動では、父親が1カ月前に殺された22歳のメフメト・アスランが死亡し、たまたま事件現場を通りがかった65歳のフェリデ・タシュ氏も体にあたった散弾銃の弾で負傷した。事件発生後、街の中心部は警察により、両家族が住んでいた村では軍警察によって広範囲な警戒措置がとられた。

アスラン家-デミルクル家とコチ家の間では、昨年末に灌漑組合選挙から対立が始まった。この対立を受け、コチ家が、先1月5日にアスラン家とデミルクル家を、街の中心部から数キロ先のキサス郡方面行きの路上で襲った。止められた車から降ろされたデミルクル家とアスラン家の人々は武器、ナイフ、石や棒で攻撃された。現場を戦場とかえたこの事件で、12人の子供の父親であるアフメト・アスランが死亡し、26人が負傷した。また、その中で警察の車1台を含む7台が破壊された。

この事件から血の復讐が始まり、一方のアスラン家は、今日親戚の一人の兵役の兵士を見送りにバスターミナルに赴いた。バスターミナルでの見送りの後。買い物をしたアスラン一家の人々は家に戻る途中、15時頃に裁判所のそばで宿敵のコチ家と出くわした。二つのグループ間で論争が始まった。コチ家の一人によって狩猟ライフルが発砲され始めた。狩猟ライフルから発砲された散弾によって、先月に起きた事件で亡くなったアフメト・アスラン氏の22歳の息子メフメト・アスランが撃たれた。また、この時たまたま事件現場を通行したフェリデ・タシュ氏にもあたった。ライフルの弾により事件現場で駐車していた車数台も損傷を受けた。

通報をうけ、事件現場には大勢の警官が動員された一方、負傷したメフメト・アスラン氏とフェリデ・タシュ氏は救急車で病院へ運ばれた。背中と胸を負傷したメフメト・アスラン氏は病院での措置にもかかわらず亡くなった。フェリデ・タシュ氏は依然、重体であると発表された。

警察は病院周囲において警戒措置とった。事件を聞きつけて病院にかけつけたメフメト・アスラン氏の親族を鎮めるのに人々は苦労した。

■村の軍警察、封鎖措置

先月に始まって、今月新たに火がついた抗争をうけ、警察は事件に関連する数人の人物を逮捕し、その時に逃げたといわれる数名についても逮捕のため捜査を始めた。この事件ののち、「血の復讐」の関係にある両家族らが一緒に住んでいた(シャンルウルファ)中央市に属するムトゥルジャ村でも、抗争の危険性があるとして、軍警察によって広範囲の警戒措置がとられた。

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( 翻訳者:小幡あい )
( 記事ID:21615 )