亡くなった至福党ネジメッティン・エルバカン党首は、死後自身のための公式葬儀は行わないという内容の遺書を家族に残していた事が分かった。エルバカン党首が亡くなったギュヴェン病院には至福党やその他の政党から政治家たちの訪問が続いている。至福党のオウズハン・アスィルチュルク副党首は会見で、遺族との話し合いでアンカラでは公式な葬儀は行われないと述べた。記者たちの「エルバカンの遺言に基づくのか」という質問にアスィルチュルク副党首は、エルバカン党首の遺言であり、しめやかな葬儀を望んでいたと答えた。
一方トルコ党のアブドゥッラティフ・シェネル党首はギュヴェン病院を訪れ、亡くなった至福党のネジメッティン・エルバカン党首の近親者にお悔やみの言葉を伝えた。シェネル党首は病院の前で会見を行い、「ネジメッティン・エルバカン党首とはよく会っていました。最後に会った時には(両党の)協力体制などについて話しました。私たちは彼の政治人生全てを尊敬しています。最後の望みが何であれ私たちが代わりに叶えます」と述べた。
至福党ネジメッティン・エルバカン党首が今朝も治療を受けていたギュヴェン病院ではエルバカン党首の死に遺族や近親者が深く悲しんだ。ネジメッティン・エルバカン党首の遺体はバルガトにある自宅に運ばれる一方、エルバカン党首の息子ファーティフ・エルバカン氏は至福党本部で弔問を受けた。ファーティフ・エルバカン氏の非常に悲しんでいる様子が見受けられ、向けられたマイクには「皆さんにお悔やみを申し上げます」と答えた。
至福党のネジメッティン・エルバカン党首の死後、党本部には訪問客が押し寄せた。党本部の隣にあるハミディイェ・モスクではエルバカン党首への祈りの言葉が読まれ続け、党の入口ではロクムが配られた。
至福党の党本部では訪問者たちを、エルバカン党首の息子のファーティフ・エルバカン氏、オウズハン・アスィルチュルク副党首、レジャイ・クタン氏が迎えた。
これまで弔問に訪れた人々の中には、スュレイマン・デミレル第9代大統領、メフメト・アリ・シャーヒン国会議長、エルトゥールル・ギュナイ文化観光相、ヌレッティン・オズデミル・アンカラ産業会議所(ASO)会頭がいる。党本部には非常に多くの党員と市民が訪れた。
■葬儀は3月1日火曜日にイスタンブルで
エルバカン党首が治療を受けていたギュヴェン病院は、エルバカン党首が11時40分に亡くなったと発表した。福祉党として1995年の総選挙で第一党となったエルバカン党首は、正道党との連立政権で首相となった。エルバカン党首が最後の党大会で至福党の党首に選ばれた時には85歳だった。
アナトリア通信記者の情報によると、左足の血管の炎症により、長期間私立ギュヴェン病院で治療を受けていた、ミッリー・ギョルシュ(イスラム運動)の代表であり、第54代首相を務め、至福党の党首であったエルバカンは、昼ごろ亡くなった。エルバカン党首の葬儀は2011年3月1日火曜日にイスタンブル・ファーティフ・モスクで正午の礼拝の後に行われ、遺体は葬儀礼拝の後、イスタンブル・メルケズ・エフェンディにある家族の共同墓地に埋葬される。
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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:21648 )