コラム:エジプトのムスリム同胞団が政党になる前に満たすべき要件とは
2011年02月28日付 al-Hayat 紙

■同胞団が政党になる前に

2011年02月28日付『アル=ハヤート』

【ムハンマド・ファーイズ・ファラハート(エジプト人作家)】

 エジプト革命の最中、大統領ポストを目指すつもりはないとムスリム同胞団が複数の幹部や代表者の口を通して明言したことはあっぱれであった。フスニー・ムバーラク大統領が退陣するに至るまでのデモには、同胞団のメンバーや幹部たちも参加していたにもかかわらず、彼らがいかなる宗教的なスローガンも掲げないよう留意したことも、あっぱれであった。その後この件について2月12日土曜日に明快かつ率直な声明を出し、同胞団は大統領ポストに団員を擁立しないし、人民議会で過半数議席を得ようとも思わないと発表したことも、さらにその後、合法的で公的な団体として、また政党として承認され、普通のパートナーとして立法機関の中に場を与えられることに目標を絞ったことも、結構なことであった。

こうしたムスリム同胞団の行動計画は誰にも否定しようがないものであり、諸政治勢力間にこれらの権利を承認しようという全般的合意が存在することは、革命が行われていた期間中に明らかとなった。それゆえ今後、いかなる新政権であれ、そうした権利を無視することは難しくなるであろう。同胞団は重みのある政治勢力の一つであるからというだけでなく、新たな段階においてはそれが当然であるからだ。

同胞団の発表や声明は確かに重大ではあったが、この微妙な段階にあって、同胞団が国家や社会との間に望んでいる信頼関係の構築には十分でない。市民的で民主的な政治体制の構築というのが諸政治勢力間の共通分母であるとして、ムスリム同胞団はこの考えに基づき社会や他の政治勢力と協力していくには、いまだ多くの要件を欠いている。同胞団が要件を満たすようになるまで、彼らを政治体制の構築プロセスに参加させるなと言っているのではない。組織の骨格や言説や政策の概要など、次の段階に向けた準備のレベルにおいて、同胞団の現状は他の政治勢力や思想潮流と大差ないからだ。[同胞団を排除したりすれば]反体制派に対して前政権が固持してきた従来の極端な言説を繰り返すことになってしまう。そうではなく、同胞団が自身の行動様式と、書かれたものであれ口頭で語られたものであれ、自身の言説の見直しを今すぐ開始して、これからの段階にふさわしいレベルを満たすべきだと言いたいのである。

第1に同胞団が取り組むべきは、2004年3月のエジプト国内改革に関するイニシアチブから2007年8月のムスリム同胞団政策綱領に至るまで、またこの間に行われた様々な選挙で同胞団が提起した公約も含め、ここ数年彼らが発表してきた一群の基本文書を見直すことだろう。これらの文書はある限定された政治状況に対応するために提起されたものであり、肯定すべき重要な側面が含まれていることも無視できない。それはたとえば、同胞団は共和制や議会制や立憲制や民主制を遵守するとの明言、憲法と法律に則った手段を通じての活動の遵守、国民こそが権力の源泉であるとの承認、いかなる団体あるいは政党にも国民の正しい意思に依らずに政権を担い続ける絶対的な権利を認めないこと、自由な直接選挙を通じて権力を移行させるという原則の遵守、さらにはこれらと関わりのある信仰や意見や集会や政党結成やメディア保有の自由の確認といったいくつかの重要な問題である。加えてこれらの文書には、その内容はともあれ、改革のための宗教教育という入り口にのみ重点を置くのではなく、包括的な方法論を採用して、政治や経済、保険、教育、科学研究、若者、女性、子供、コプト教徒、文化、メディア、外交などについても見解を提示しようという、同胞団の思考様式の重要な転換が反映されていた。だがこうした全ての事も、いくつかの重要な問題についての同胞団の真の立場に対する疑念、あるいはマイナスの認識を払拭することはできなかった。その理由としては、同胞団の言説のうち、書かれたものと口頭で語られたものとの間にある程度矛盾が存在するということ、また多くの問題に関して同胞団内部に重大な対立があるということが挙げられる。これが、彼らの言説の信憑性や首尾一貫性について、マイナスの見方をさせてきたのである。

こうした枠組みに沿いつつ、ムスリム同胞団の言説にいまだ残っているいくつかの問題点を以下に挙げてみたい。

第1に、教宣と政治の混同という問題。この混同は、同胞団が「政治改革」という概念を扱うやり方において最も顕著であった。この概念は過去の同胞団の文書の大半において中心的な位置を占め、今後も同胞団について回るであろうと思われる。同胞団は政治改革を、宗教改革の一部とみなして扱ってきた。それゆえ改革に関する同胞団の提案は、イスラーム法的(宗教的)基盤から、「同胞団が持つイスラーム法上の責任」の一部として、また「社会に向けて忠告する」という同胞団の役割の一部として発せられてきた(ここには社会の庇護という観点が認められる)。提案をするにあたっての動機として、国民的・国家的責任というものを同胞団は否定しないが、それはイスラーム法的・宗教的責任より下位に来る。この前提は同胞団をより重大な誤謬に陥らせた。それは同胞団が、公然とであれ暗黙裡であれ、自分達だけが真理を握っているのだとの仮定に立っているという誤謬である。彼らの混同は、宗教を改革概念の基盤に据えるというにとどまらず、イスラームを信じる個人、イスラームを信じる家、イスラームを信じる政府、イスラーム諸国を率いる国家の形成を通じて神の法を打ち立てるという、同胞団が設定した改革の最終目標にまで及ぶ。これらは教宣の役割としてみれば受け入れ可能だが、政治の役割ではない。この問題は、同胞団が政党結成の権利を得た暁には、より喫緊の問題となるであろう。

第2に、市民国家という概念の混乱。同胞団の文書類は、国家の市民的性質を強調するよう努め、2007年の諮問議会選挙での公約の冒頭ではこう述べられていた。「国家の公式宗教はイスラームであり、イスラーム法は法規の主要な源泉である…統治者とウンマ[信徒共同体]が補完し合う国家、ウンマこそが統治者を任命するのであり、統治者を処罰する権限を持つ。ウンマはそれが自身の利益になると考える時には統治者を罷免する権利がある。統治者はあらゆる面で市民的であり、その政府も神権国家とは無縁の市民的な政府である」。また同じ文書は、このほかにも3つの重要な保証をすることを通じて、国家の市民的性格を明確にすべく努めていた。1つ目は、イスラームはその性質上、宗教権力を拒絶するというもので、「イスラームにおいて国家とは市民的な国家のことであり、ウンマがその諸制度や諸組織の制定にあたる。国家においてはウンマが権力の源」であって、イスラーム法の枠内での人間の裁量(イジュティハード)は禁じられていないことが保証された。2つ目は、「イスラームにおいては誰も宗教権力を持たない」ことの保証。3つ目は、「統治者の権力は、統治者と被統治者間の社会契約に従って、ウンマによって確立される」ことの保証であった。さらに、[2007年の]政策綱領案では、これら3つの保証内容があらためて確認された。その綱領案には、「自由選挙で選出された立法府における過半数の議席の獲得によってウンマが合意した見解」があれば、イスラーム法が実施されると書かれていたのである。

これら全ての重要な保証にもかかわらず、この綱領案はムスリム同胞団の市民国家概念の不明瞭さという印象を深めた。そこに、独立した最高権威集団としての「大ウラマー組織」の創設が含まれていたためだ。立法府と大統領はいかなる法令を発布するにあたっても、事前にこの組織に諮り、イスラーム法との整合性を確認せねばならない。この組織の提案は、同胞団の市民国家概念をめぐる疑念と激しい論議を巻き起こした。この組織が立法府と行政府に対して独立している点や、明確にして確固たるイスラーム法の法規定が十分に揃わなかった場合を除けば立法府がこの組織の見解に異議を唱えることが許されないという意味で組織の見解に拘束力があるという点からして、同胞団が目指す政体はイランにおける「法学者の統治」により近いように思われたからだ。ある論点について「明確にして確固たるイスラーム法の法規定が十分に揃わなかった」かどうかの判断は、当然のことながら、この組織の職務と専門に関わることであって、立法府や行政府には関わりがない。
 
 また綱領案は、大統領および立法府の長には両者が発布する法令や国内政策や外交政策にイスラーム法を適用させる役目があると再確認しているにもかかわらず、利害関係者に、その利害がいかなるものであれ、「それらの法令や政策は、意見が尊重されている同時代の法学者たちの大勢によって合意されているイスラーム法の法規定に違反している」と憲法裁判所に訴え出る権利を認めている。このような上訴権の著しい拡大が、法令のレベルだけでなく、国内政策や外国政策のレベルにおいても混乱を引き起こすことは疑いようもない。しかも個々の利害がぶつかり合ったり、コーランの文言の解釈が多岐にわたったり、一つの問題について法学的見解が複数存在したりすることを思えば、そうした混乱が起こる可能性はさらに増す。

そして第3に、政治観が「イスラームこそ解決」というスローガンに要約されている点。憲法の見直しが行われている段階でもあり、このスローガンを使用することの憲法上の問題点はさておくとしても、同胞団がこのスローガンにこだわり続けることによって二つの問題が生じている。第1に、それは同胞団が政治的多元性やリベラリズムという原則をどれ程信じているのかについての疑念を深める。現在我々が抱えている諸問題に対応するための多くのアイデアを与えてくれるインスピレーションの源として、あるいは法源としてイスラームを用いることには問題がないかもしれない。だが問題は、今まで同胞団が提起してきたやり方にある。そこには「イスラームこそ解決」という考えから発したのではない、他の政治的思想的方法論を暗に拒絶する意図が含まれている。同胞団が「イスラームこそ解決」ではなく、「イスラームは解決の一つ」であるとの論理によるスローガンを掲げていたならば、あるいは「イスラームこそ解決」と「イスラームは立法の源である」との間を区別していたならば、事態は大きく異なっていたであろう。この二つの間には大きな差があるのだ。2点目の問題は、このスローガンが高度な省略化と象徴性をほどこされているがゆえに、これを聞かされた側はイスラーム(信仰)か、それ以外の道筋(不信仰、放蕩、反抗)かの二者択一を迫られることにある。教育を受けた層であれば、こうした対比が正しくないと認識しているだろうが、エジプト人の大多数にはそうした認識は明らかに行き渡っていない。つまり、同胞団はこれら大多数を政治的に席巻し、彼らのイスラームによってこうした大多数の人々を獲得しようとしているのだ。そこで、同胞団はこのスローガンを見直さなければならなくなる。このスローガンが合憲であるか否かではなく、国家や社会との真の、健全な政治的関係の土台として、このスローガンが的確で正しいかどうかという観点から見直すべきなのだ。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

Tweet

Tweet
シェア


原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:21656 )