エルバカン元首相の葬儀、盛大に挙行
2011年03月01日付 Hurriyet 紙


アンカラで逝去した幸福党党首、ネジメッティン・エルバカン元首相の葬儀がファーティフ・モスクで挙行された。国葬を望まなかった故エルバカン元首相は、ファーティフ・モスクで葬儀が執り行われることと、メルケズ・エフェンディ墓地に眠る妻の側に埋葬されることを遺言で残した。何十万人もの人が参加した葬儀では国の要人も押し潰されんばかりであった。葬儀の後、エルバカン元首相の遺体はメルケズ・エフェンディ墓地へと運ばれた。数千人の人々は、棺搬送車の後に続き、約4キロ程離れた所にある墓地に向けて行進した。混雑のためにゆっくりと進む棺搬送車は、4キロの道のりを2時間半かけて移動した。エルバカン元首相の棺はたくさんの人々の手によって墓地へと運ばれ、亡き妻の傍らに埋葬された。

■最初の葬儀はアンカラで挙行

エルバカン元首相のための最初の葬儀はアンカラにあるハジュ・バイラム・ヴェリ・モスクにて挙行された。朝の礼拝に続いて行われた葬儀の礼拝には大臣や親族だけでなく、元首相の死を悼む多くの人々が参加した。元首相の遺体はその後、プライベート機でイスタンブルに運ばれた。

■葬儀はファーティフ・モスクにて

アタテュルク空港からイスタンブル広域市墓地管理局の棺搬送車に移された元首相の遺体は、小規模の護衛と共に、交通規制された沿岸道路を通ってファーティフ・モスクに運ばれた。

モスク周辺で到着を待つ市民や党員は涙を流し、「神は偉大なり」を唱えながら遺体を出迎えた。棺搬送車はモスク周辺の混雑のため、中庭に入る前にしばらく待機した。遺体の到着を待つ警備隊と若い幸福党党員は、安全な道を確保した。一人の党員は、「エルバカン師の棺が見えたからと言って、前に歩み出ないで下さい。大勢で一気に押し寄せいないように気をつけましょう。師に相応しい葬儀にしましょう」と、市民に対し、マイクを使って継続的に注意を促した。「神は偉大なり」の声に包まれて、遺体は(棺を置くための)台の上に安置された。

エルバカン元首相は、娘のエリフ・エルバカン・アルトゥノズさんとその夫のメフメト・アルトゥノズさん、もう一人の娘ゼイネプ・エルバカン・バイコチュさんとその夫のファルク・バイコチュさん、息子のファーティフ・エルバカンさんとその妻のベイザ・エルバカンさんらによって台の上に安置され、葬儀を見守った。
葬儀では2003年のコーラン朗誦大会で優勝したアフメト・カラル氏がコーランを読んだ。

■1万人の警官が警備にあたった

イスタンブル警察署によって葬儀が行われる場所の近くで行われるセキュリティ・チェックのために3千500人、周辺と道路の警備のためにおよそ1万人の警官が投入された。

■イスタンブルの全モスクで葬儀の礼拝が行われた

ゼイティンブルヌのメルケズ・エフェンディ墓地内にあるエルバカン元首相の家族墓地で、元首相の墓を党員らが順に掘った。元首相の墓は、2005年に逝去した妻ネルミン・エルバカン氏の横に建てられた。家族墓地内には元首相の父サブリ・エルバカンさんと母カメル・エルバカンさんの墓もある。

墓地の向かいにある壁にはエルバカン元首相の大きな写真がさげられた。一方で、イスタンブルの全モスクでは元首相逝去のため、葬儀の礼拝が行われた。

■国のトップが圧死の危険

ファーティフ・モスクに来たギュル大統領、エルドアン首相と大臣らは、葬儀の礼拝後、棺が搬送される時に生じた混乱により、困難な状況をしいられた。

■トルコ国軍が贈った花輪

モスクの中庭に置かれた花輪の一つは、トルコ国軍からの物であった。国軍の花輪の横には共和人民党のクルチダルオール党首が贈った花輪が置かれた。さらにモスクの中庭には何人かの将校の姿も見られた。

■イッゼトベゴヴィッチ氏の墓から土が運ばれた

エルバカン元首相の墓に、ボスニア・ヘルツェゴビナのアリヤ・イッゼトベゴヴィッチ元大統領の墓から土が運ばれた。

■棺運送車は2時間半で墓地に行けた

葬儀後、棺運送車に移された元首相の遺体は、混雑のせいで4キロの道のりを2時間半かけて運ばれた。メルケズ・エフェンディ墓地には、TBMMのシャーヒン議長とアフメト・ダヴトオール外務大臣も来た。エルバカン元首相は、同墓地にある家族墓地内の妻の墓の横に埋葬された。

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( 翻訳者:藤永巌広 )
( 記事ID:21675 )