平和民主党(BDP)所属シュルナク選出のハスィプ・カプラン議員は、「殉死者は我々の誇りである。27年間この戦いを続けている。シュルナク地域のすべての自治体がクルド系首長のもとにあり、私たちが国会でクルド語を使えるようになっているのは、それはこれらの犠牲のおかげである」と述べた。
1990年代に治安部隊との間で始まった衝突で殺害され、PKKが最近死亡を発表した4人のPKKメンバーのためにシュルナク県イディル郡で2ヶ所に追悼のためのテントが張られた。
シュルナク選出のハスィプ・カプランBDP議員はアタケント地区で死亡したコードネーム「ホギル」、本名アブドゥッラマ・バクルジュというPKKメンバーのために作られたテントに党幹部らとともに郡役所から徒歩で向かった。
ハスィプ・カプランBDP議員はテントでスピーチを行い、「殉死者は我々の誇りである。27年間この戦いを続けている。シュルナク地域のすべての自治体がクルド系首長のもとになり、私たちも国会でクルド語を使えるようになっているのは、それはこれらの犠牲のおかげである」と述べた。
カプランBDP議員は、さらにPKKメンバーであるコードネーム「フェルハト」本名ミュニル・チェリキ、コードネーム「ネヴロズ」本名セラメト・チャタク、コードネーム「ミトハト」本名ハキ・アルチらのオイマク村での追悼に大勢の車列とともに向かった。
カプラン議員はPKKメンバーらの近親者に哀悼の意を示し、政府を批判した。
カプラン議員は、「休戦プロセスで何度も政府に呼び掛けた。『平和のための1歩を踏み出そう』と言ったが、いかなる形の平和のためのステップも踏み出されなかった。平和のために、ゲリラグループはトルコを訪れたが政府は彼らを捕まえた(注)。(公正発展党の政府は)『公正』という名を持ちながら公正の名に相応しいことを何もしていないではないか。クルド民衆が自分の意思で選んだ政治家や市長が口を開いた瞬間にあなたたちは何十年も判決を下している」と話した。
アビド・イケBDPシュルナク県支部長は、PKKが停戦について与えた約束を守っていると述べた。
(注)2009年夏に一部PKKのメンバーがイラクから「投降」してトルコ国内に戻った事件をさしている。当初、歓迎されたが、彼らが行った演説やその歓迎行事が原因で、のち、投降者らが逮捕される事態に発展した。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:21723 )