コラム:シリアの運動は何処へ
2011年03月16日付 al-Quds al-Arabi 紙
■シリアの運動は何処へ
2011年03月16日『クドゥス・アラビー』
【アブドゥルバーリー・アトワーン】
シリアで現在起きている民衆抗議運動を蜂起の始まりと呼ぶには時期尚早であろう。しかし、この運動をそちらの方向へ押しやるであろう数々の不正と誤った行いがあるのは事実である。そのような事実がありながら、シリア体制がそのことを理解せず、真剣な改革に急ぎ取り組まないとすれば、遅かれ早かれ運動は蜂起へ向かうのだが、体制側には改革の意志がないのではないかと疑われる。
この10年バッシャール・アル=アサド体制の元にあるシリア国民は、改革の約束を耳にしている。しかしそのいずれも実現されず、バッシャールの父が40年前に起こした修正革命以来の状況が続いてきた。誤りは正されず、どころか一層深刻になり、治安機関は国民の血肉を貪り放題となった。改革派の前衛たちは、反逆と対決のスローガンを掲げるも、帝国主義的陰謀に直面することになる。
幾度となくシリアの治安を侵害してきたイスラエル人エージェントたちは、多数の成果をあげている。ヒズブッラー軍の稀代の指揮官イマード・アル=ムグニヤにはじまり、その親友でアッラーザキーヤ市の中心部にいたムハンマド・サルマーン少将まで。これに対し、シリア治安当局がイスラエルのスパイを1人でも拘束したという話は聞かない。それなのに我々は、数百あるいはおそらく数千のシリア国民が、政治改革、人権尊重、自由を要請した容疑で拘留されると聞く。
シリアが標的とされるのはよく理解できる。それは、パレスチナとレバノン双方の抵抗を擁護する唯一のアラブ国家だからだ。この「唯一」はいくら強調しても足りない。2006年夏のイスラエルによるレバノン攻撃においては大勝利をおさめるのに多大な役割を果たした。しかし、これをもって、政治社会経済改革を実施しない理由とすることは、最早受け入れられない。それらの改革は、シリア国民が40年間要請してきたものだからだ。
治安部隊を肥え太らせてもチュニジア大統領体制の崩壊は防げなかった。一昨日、武装部隊最高評議会が解散した国家治安局は、エジプト大統領の免職をどうすることもできなかった。むしろ彼らが、両体制のみじめな没落を手助けしたといってもいい。
政権を守る真の治安機関は、自由な国民であり、選挙により選ばれる民主的諸機関、公正な司法、透明性を有する監査機関であるべきだ。これらは、残念なことに現在のシリアには存在しない。そして近い将来それらを創設しようという意志らしきものが見えない。
変革を求める国民の要請が嵐となって政権を揺さぶる時、仲介屋と日和見主義者、治安機関官部とその元で働く者たち、あるいは退役した者たちが、真っ先に政権という船から逃げ出していく。その前に、各々の資産を国外へ逃すのだが、それは、この種の人々の、政権へは言うに及ばず国への帰属意識が、無いとは言わないまでも非常に希薄だからだ。彼らが真に忠誠を誓うのは、困窮する人々の稼ぎからかすめ取った金銭に対してである。
アサド大統領は、この数週間、新聞のインタビューの多くで、国民革命を経験している他の国々同様、シリアにも汚職が存在することを認めている。しかし、告白するだけでは不十分で、汚職を根絶するための実質的なステップが伴わなくてはならない。関わった者たち、特に政府高官は、公正な裁判にかけられ、国民から奪った金を返還させなければならない。バッシャール大統領は、個人的にその1人1人を知っており彼らについて詳細な説明は要らないはずだ。
ネット上でアラブの諸問題、特にガザ封鎖について果敢に意見表明をした10代の少女を大統領が釈放できないというのは、理解できない。我々が目にしたように、アメリカのスパイとの容疑で彼女を逮捕しさらしものにするとは、我々のアラブ・イスラーム的モラルに適うものではない。国王や大統領のレベルで傀儡を有しているアメリカは、シリアであれ他のアラブ諸国であれスパイなど必要ないではないか。
シリアでのスパイへの判決は軽くても死刑となる。もしタッル・アル=ムルーヒーが本当にアメリカのスパイだったとしたら、逮捕後の彼女は一日も生き延びられないことになる。
勝つのは民主的体制である。独裁者の軍は、忠誠心から戦うわけではないからだ。バッシャール・アサド大統領に、私は次のように望んできたし、現在もまだ望みを捨てていない。全ての政治犯に恩赦をだし、意見を述べたために拘束された人々の拘置所を空にする。そして、政権の性質を変える包括的な政治改革を実施し、国を輝かしい未来へ導く。
故フサン・ヨルダン国王について、われわれはその立場や政策の多くに異議があるのだが、ともかく彼は、砂漠のアル=ジュウェイダ刑務所へ行き、年老いてなお血気盛んな反体制派ライス・シュバイラートを釈放した。自ら運転する車に彼を乗せ、家族と子供たちの家まで連れて行った。そして、自分の暗殺や体制転覆を企てた者たちにも恩赦をだした。あるいは、ローマ法王は、自分を殺害しようとした者を獄中に訪ね、彼を許すと公に宣言した。
シリアで現在鬱積している不満は、チュニジア、エジプト、リビア、バハレーンのそれよりはるかに大きい。失業率はこれらの国々の数倍で、汚職、社会的不正、抑圧的警察機構による専横、非常事態法を通じての統治などはこれらの国々と同じである。
シリア国民は、日々のパンに飢えると同時に、尊厳、自尊心、社会正義、就労の機会均等などに飢えている。もし、シリア大統領がこの苦い真実を知らなかったとしたら、それこそ悲劇である。
最後のスピーチでチュニジア大統領は、悪しき取り巻きが自分を甘やかし真実を覆い隠していたと述べた。アサド大統領には、自分の国の辛い真実に気付いた時は遅かったということになってほしくない。チュニジア、もしくはエジプト大統領の取り巻きより自分の腹心の方がずっとたちが悪いということにも早く気付いてほしい。
我々の共同体に仇をなし富を奪い抵抗の精神をくじこうとする米イスラエルの企てに対峙し続けたシリアは、我々にとって最後の砦である。そのシリアの行く末を我々は案じている。だからこそ、改革によって国を維持してほしい。もし内部崩壊を起こしたら、虎視眈々と狙う勢力のコントロールを許してしまう。
シリア指導層は若い。しかし、未だブレジネフと冷戦の時代を生きているミイラの一群に囲まれている。治安機関でも側近の顧問たちの中でもそうなのだ。ベルリンの壁崩壊と共に没落の過程を生きた人々は、エジプトのタハリール広場革命とその前にチュニジアのシーディー・ブーゼイドの街から発した革命によって、その過程を完了した。
シリアは、最初の一撃、あるいはもう一人のムハンマド・ブーアズィーズィーを待っている。しかしまだ、大爆発を避けるチャンスはあるのだ。アサド大統領に聞こえているだろうか?
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:21839 )