コラム:リビアとイエメンへのメッセージ
2011年03月21日付 al-Quds al-Arabi 紙
■リビアとイエメン、二人の大佐へのメッセージ
2011年03月21日『クドゥス・アラビー』
【アブドゥルバーリー・アトワーン】
リビア、イエメンの血なまぐさい展開を追い、両国元首がたとえ数百数千の犠牲をだそうとも権力の座にしがみつこうとするのを見ると、チュニジア、エジプトの両大統領が国民に対しいかに「慈悲深かった」かがわかる。両人とも、人命の損失は最小にとどめ、資産は最大に活用できるタイミングで辞任を決意した。
二人の大統領にしても、可能な限り長く踏みとどまろうとしたのは確かであった。そのために手品師が使うようなあらゆる手管を用いてみせた。悪名高い閣僚、特に内相と情報相を追放し、内閣を解散し、次期選挙には出ないと約束した。それでも両国の中央広場で蜂起した人々は、彼らの完全降伏と手近な避難所への退去を要請し続けた。
リビアでは、ムアンマル・カッザーフィー(カダフィ)大佐が、何の躊躇もなく戦車や戦闘機で自国民を爆撃している。あたかも自分が崇拝の対象であるかのように振る舞い、国民大多数から拒否されていることを認めようとしない。国を廃墟と化してなお、彼が大事にするのは自分個人とそのイメージ、世界の指導者という誤った認識のみである。彼と底なしに貪欲なその息子にとって、リビア国民はまったく関心の対象外だ。
イエメンではどうかといえば、こちらも同じくらいよくない。アリー・アブドゥッラー・サーリフ大統領は、大統領府のある一画に国全体を集約し、金曜礼拝を主導するアムル・ハーリド[1967-、エジプト生まれの著名なイスラーム説教師]を気取って中道、穏健主義について語ることにより、国民の革命への意志を挫くことが出来ると考えていた。この単純な考え方が、どれ程間違ったものであったかは明らかである。金曜礼拝の最中、変革広場モスクで抗議する人々を情け容赦なく狙撃せよと命じた時、過ちはより深刻な形で繰り返された。
サーリフ大佐は、チュニジア、エジプトの同輩ではなく、デモ隊を殺戮するリビアの大佐にならうことで、国民の力が生み出した真の革命という歴史の歯車を止められると考えていた。しかしこれは全く的外れだ。蜂起した他の国民たち同様、イエメン国民は、途上で立ち止まるわけにはいかないのである。政権をその頭目ごと放逐するという目的を完全に果たすまで、彼らの革命は続くだろう。
昨日、リビア、イエメン両元首に向けて二つのメッセージが発せられた。その第一は、市民保護との名目で実は利己的にリビアに介入した欧米諸国からで、バーブルアズィーズィーヤ基地の邸宅が爆撃されたことに示されるように、大佐に向かって、彼が暗殺対象であると述べている。そして、トリポリのリビア国民に対しては、ベンガジの同胞たちのように動くべきだと示唆している。あなた方が持ち上げている、あるいは、恐怖から、その行いに目をつぶっている人物は、やがて避難所を求めて首都を去るだろうからと。そして行き場のない大佐は、地下壕から、生き延びるための最後の戦いを指揮するだろう。
一方、イエメンの大佐に届いたメッセージはより重要で、二段構えであった。第一の亀裂をもたらしたのは、北部方面司令官で大統領の義兄弟であるアリー・ムフシン・アフマル少将である。彼は、軍高官多数と各国大使らの一団を伴って革命側についた。次いで、ハーシド族(大統領の出身部族)の長老たるサーディク・アブドゥッラー・アフマル師が与党から身を引き、その兄弟ハミード・アフマルが国会副議長を辞任した。つまりイエメンの最大部族が政権への支持を取り消したということになる。大統領が政権に残る可能性は、消えたとは言わないが、限られたものになってきた。
アリー・アブドゥッラー大統領が狡猾で抜け目のない人物であることは間違いない。30年以上同国を支配しているからではない。これについてはイエメンの詩人アブドゥッラー・バルドゥーニーが、「ライオンに乗れどもイエメンを統治せず」と詠んでいる。そうではなく、彼はあらゆる敵対者を制圧することに成功してきたし、クーデターや暗殺計画は言うに及ばず、1994年の分割戦争をはじめとする幾多の危機を乗り越えてきた。しかし、国民革命の本質を見抜くのには、この狡猾さが裏目にでたようだ。
実のところ私も、この20年以上、彼のサバイバル能力に賛嘆してきた1人であった。国内情勢と中東域内情勢のカードを巧みに繰り、特に、強大な北の隣国サウジに対する対応は見事であった。サウジは、自国の治安と安定に対する脅威の源泉がイエメンにあるとみなしており、同国をよく思っていない。南北イエメン統一10周年記念祭の折、私はサーリフ大統領が運転する車の助手席に乗ってサナア郊外へ向かっていた。記憶が確かなら、故イブラーヒーム・ハマディー大統領[在1974-77]の出身村落を通った時だと思うが、サーリフ氏は、腰のハンジャル[湾曲した刃をもつ短剣]を指して、これで政権を取ったのだ、これなくしては去らないと言った。つまり殺されるまで動かないということだ。
しかし、そのような血なまぐさい終わり方を大統領にしてほしくはない。彼はイエメン統一を実現し、長年、戦争と陰謀、部族闘争にあけくれてきたイエメンに多くの面で安定をもたらした。それでよしとして、今はサウジ西部のジッダへ逃れ、そこで余生を送ってほしい。彼に敵対してきた多くの人々、アブー・バクル・アターシ、アリー・サーリム・バイド、アフマド・ナアマーン、アブドゥッラー・アスナジュ、バドル師等々がしてきたように。
アリー・アブドゥッラー・サーリフ大佐は、リビアの同輩と異なり、亡命地を選び、廃された大統領としての余生を送るぜいたくが許されている。戦争犯罪人としてインターポールに追われたり、セルビアのミロソビッチや、ムアンマル・カッザーフィーのようにハーグの裁判所へ出頭を要請されることもない。生活するに充分な資産はあろうし、もしそうでなくても、サウジの彼の友人たちが援助を惜しまないだろう。最悪の場合でも、ジッダの元チュニジア大統領や紅海(シャルムッシェイフ)の元エジプト大統領に借金を申し込めるだろう。
この二つの障害(カッザーフィーとアリー・サーリフ)をアラブ革命の軌跡から取り除いてくれと神に乞う。アラブ革命はさらに広がって、この新たなアラブ共同体に民主主義の夜明けをもたらさなくてはならないのだ。この60年の不面目、不名誉、敗北の連鎖を止めるために。
アラブ諸国民は新世代の新たなリーダーシップを求めている。法の支配、社会正義、選挙によって選ばれる国家機関を求めている。貧困と失業、警察の弾圧と指導層の汚職をまねいた独裁体制が、彼らに禁じてきたものだ。
王制、大統領制を問わず、どのアラブ国家でも改革が要請されてきた。今後もそれは続くだろう。しかし、我々の要請は弾圧で迎えられてきたし、今でもそうである。それは、各国の政権が、自分のところには国民革命は及ばない、変革というハンマーの前でも安泰だと信じてきたからだ。
イエメンとリビアの二人の大佐には、これ以上の流血を避けるべく退去し、国民への慈悲を示すよう勧める。屈辱的な、あるいは血なまぐさい方法で、強制的に放逐される前に。国内に大佐たちの居場所はない。手遅れになる前にこのアドバイスを聞いてくれたらと願う。
しかし、サーリフ大佐の向かうべき場所は予測できるものの、リビア元首の避難所を思いつけないのが問題だ。このため、後者はあの世へ至るまで戦い続けると決意するかもしれない。そうだとしても我々は驚かないが。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:21908 )