社説:シリア、ダルアー蜂起
2011年03月23日付 al-Quds al-Arabi 紙
■社説:シリア、ダルアー蜂起
2011年03月23日『クドゥス・アラビー』
プラカードに政権打倒を求めるスローガンを書いたという10代の子供たちの一団を治安部隊が逮捕した時、シリア蜂起の第一閃が南部のダルアー市から発せられた。治安部隊が強圧的な対応をしてきたシリア全土の市町村に革命は飛び火する可能性がある。
一昨日、治安部隊はこの蜂起の犠牲者の弔問に訪れた人々に発砲し二人を殺害した。昨日、同じ悲劇が繰り返され、近隣の村々から連帯を示すために来ていた青年たちが殺戮された。13名以上が死亡とされ数字は上昇傾向にある。
リビア以前にシリア情勢が沸点を迎えると、多くの人が予測していた。エジプトより先だと考えていた人もいた。人権、治安機関による弾圧、自由に対する不寛容について、シリア政権が示す対応は、アラブ諸国の中でも最悪だと評価されていたからだ。
シリア政権が国民の要請や他からの助言を聞こうとしないのは問題である。アドバイスは最も近い同盟国からも行われているのだが、政権は、治安部隊の強硬策によりあらゆる問題を解決し、各種の危機を切り抜けることが可能だと主張し続ける。
危機への対応策としての弾圧は、チュニジア大統領の政権を数週間も守らなかったし、エジプト大統領の政権については、数日で寿命を尽きさせた。内部の腐敗が明るみに出て、まるでクモの巣のように両政権が崩れさるのを我々は目にした。
抗議活動が他都市へも及んだ場合、シリア政権があっさり降伏することはないだろう。リビア元首と同じ、いかなる犠牲を払おうとも最後まで戦うという手段に訴える可能性がある。シリア政権の構造は、エジプト、チュニジアよりもリビア、イエメンのモデルに近い。つまり、宗派、部族的基盤に頼っている。
政権が反体制派を人知れず力で排除してきた時代は、インターネット、フェイスブック、携帯電話等の現代技術革命により終わりを迎えた。つまり、反体制派のムスリム同胞団とその支援者たちを標的としたハマーの虐殺[1982年]のような事を繰り返すのは難しい。
イランの同盟国でヒズブッラーを支援しパレスチナ抵抗運動を擁護するシリア政権が、欧米、特に合衆国から標的とされているのは事実である。この点は十分考慮されるべきだが、だからといって、国民を弾圧し、自由を禁じ、人権を侵害し、汚職を隠ぺいする権限がシリア政府に与えられるわけではない。
10年前父の後を継いだバッシャール・アサド大統領は、国内に一種の安心感をもたらした。欧米で教育を受け、今なお若いといえる大統領は、抜本的政治改革の実施、様々な分野での自由、治安部隊に対する制限などを国民に誓約した。しかし、それらは適用されなかった。たとえ適用されても表層的なもので、それも経済分野に限られ実施のスピードは極めて遅かった。
シリア政権を擁護する人々は、治安関係を主とした保守勢力が改革を妨げたのだと論ずる。若い大統領の邪魔をして、彼のプランにあれこれの障害物を置いたのだと。この説は、おそらく幾分かの真実を含んでいる。しかし、大統領としては、それらの旧弊な勢力に全面降伏する必要はないではないか。政権のトップに立って10年以上が過ぎているのだから。
シリア政権は、過去40年間域内の戦争、紛争への介入を避けてきた。イスラエルに対しても、同じバアス党から分派した政権であったイラクにアメリカが帝国主義的攻撃を仕掛けた時も、回避している。しかし今、逃れようもなく対決を求められている。まず、改革を求める国内の声に対峙しなければならない。一方で欧米が、政権の基盤を揺るがし、おそらくその変更を試みている。
来る数週間の間にシリア政権にとって最大の危機が訪れるだろう。変革を求める大多数を弾圧しようとすれば、リビアのように飛行禁止等の国際社会による決議を招く。柔軟な対応を試みれば、エジプト、チュニジアと同様の結末を迎えるかもしれない。
過去の例から見て、シリア政権はリビア方式を選ぶだろう。シリアが兵員や航空機によって秘密裏に、ムアンマル・カッザーフィー大佐を支援していることからもそれが分かる。今後の展開は予測しづらいが、攻撃的な逃避、つまり域内の戦争へシリアが介入するという事態も考えられる。あるいは、最悪の場合、国内で虐殺を引き起こし、今後の革命の芽を摘んでしまうことも考えられる。
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:21921 )