フェトフッラー・ギュレン、「出版妨害」疑惑に文書で回答
2011年03月28日付 Yeni Safak 紙
フェトフッラー・ギュレン氏は、エルゲネコンの強制捜査で拘束されたアフメト・シュク氏に関する本の原稿にまつわる議論で名前が取りざたされていることに関し、文書で回答した。
ギュレン氏は、弁護士を通しての説明で以下のように述べた。「今日まで、私に批判的な立場から多くの報道が行われ、何十という本が出版された。しかし私は、出版されてもいない本の妨害をしたことなどなかった。ただ、個人の権利を侵害し、私への根拠のない誹謗や中傷に対し、一人のトルコ国民として法律の範囲内で自分の権利を求めただけである。
違法であることが証明され、それに関して損害賠償命令が出されたという本でさえ、再出版され、販売されている。
とりわけ1997年の2月28日プロセスにおいて、私に否定的な立場から行われた心理作戦として、中身の同じような多くの本が市場に出回った。これらの本に出てくる主張は、最高裁において満場一致で認められた私の無罪と、それに対し起こされたさらなる裁判での訴えと同じものであった。さらにこれらの本は、裁判記録にもにも加えられ、その内容は訴状にも記載された。だが、これらの本が無価値なものであることは、世論でも知られている。
この情報の時代、あらゆる種類の出版物がインターネットなどの手段で容易に生み出すことができる時代に、いかなる出版物の出版も、読み手に届く前に阻止することが不可能であることは、明らかだ。
このような試みをすれば、出版が禁止されるべき本への関心をむしろ高めてしまうことは、明白である。前述の本や著者に関して、私は苦情を申し入れたり裁判を起こしたりするつもりはない。
これは完全にトルコ司法の問題であり、司法関係者が問題とされた本についてどのような理由や証拠をもとに裁判を始めるのか、私にもわからないことである。全く独立した存在である司法に関して、ある問題において、私が好意的、或いは否定的に言及することは、もちろん問題とはなりえない。言うまでもなく思想、表現、メディアの自由は民主主義に不可欠な要素である。しかしいかなる自由も、社会秩序に反し、個人の権利を侵害し、無実の人間を中傷する意図をもって用いられることはできないし、これもやはり民主主義や人権の最も基本的な規範の一つである。」
説明ではさらに、同氏の弁護士であるオルハン・エルデムリ氏により、最近、イスタンブル県共和国首席検事が行った幾つかの手続きをもとに、クライアントであるフェトフッラー・ギュレン氏に向けられた法的手続きを経ない、私刑とも言うべき内容の違法な出版物がつくられたことが記された。
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( 翻訳者:木村納菜 )
( 記事ID:21971 )