オジャラン弟、兄の誕生日前にインタビュー「兄は蟻1匹、殺さなかった」
2011年03月30日付 Radikal 紙
アブドゥッラー・オジャラン被告の誕生日である4月4日、支持者たちがシャンルウルファでデモを予定する一方、オジャラン被告の弟であるメフメト・オジャランさんは兄について「これまでに蟻一匹も殺したことがない」と語った。
イムラル刑務所に収監されている兄が自宅拘禁措置となることを希望しているメフメトさんは、「兄はこれまでの人生で誰かを殺したことはない。彼は乳児殺しなんかではない。私たちは家族として、彼が(マルマラ海の)海の真ん中に閉じ込められているのを望まない。刑罰を自宅拘禁措置に変えてもらいたい。自宅拘禁が実現するなら、シャンルウルファで政府の決めたしかるべき場所で、しかるべき管理の元での拘留を希望する。」
メフメトさんは、毎年4月4日に行われ、PKK支持者たちが何千人と参加するオジャラン誕生祝いの催しの準備が、130世帯が住むハルフェティのオメルリ村で始まったという。「兄の誕生日のためにウルファに集まってくれる人たちは私たちのお客だ。当日は私たちの村でもてなしをする。以前は村に許可が出なかったため、治安部隊との衝突で2人が亡くなったこともあったが、昨年許可が下りラブルは起きなかった。今年も、集まる人たちが政府にも村にも一切迷惑をかけないと私が保証する(←今年も、集まる人たちの保証人には私がなる。彼らは政府にも村にも迷惑をかけない人々だ)」と話した。
■オジャランを自宅拘禁に
メフメトさんは、重大終身刑を言い渡されイムラル刑務所で服役しているオジャラン被告が海の真ん中に閉じ込められていることにも不満をもつ。治当局の管理下で自宅拘禁となることを望んでいる。オメルリ村でピーナツ畑をトラクターで耕すメフメトさんは、シャンルウルファから150キロ離れた刑務所にいる兄と3ヶ月間会えていないという。
「兄との面会時間はたった30分しか与えられない。私たちや、兄と同じ島に拘留されている5人の服役囚の家族は行く途中でひどい目にあっている。海がしけているといって面会を拒否されることもある。たとえ囚人であっても、私たちには兄に会う法的な権利がある。他のどの刑務所でも面会時間は1時間。なのに私たちは、12年間通う中でここ5年は30分を1分たりとも越えたことがない。民主的じゃない。人権が守られていない。私たちが兄を海の真ん中へ連れて行けと言ったわけじゃない。私たちの人権は踏みにじられている。アブドゥッラー・オジャランはトルコの統一と平和のために戦っている。兄がシャンルウルファで政府の管理下で自宅拘禁となることを望む。これが実現すれば、それはトルコやクルド人にとってまさに適切かつ正しい判断だ。」
■オジャランなしで平和は保てない
クルド問題を生み出したのはオジャランではなく、むしろ200年前から問題があったと主張するメフメトさんは、トルコで流れる血は兄が何平方メートルかの場所に閉じ込められることで解消するものではないと言う。
「兄のためにシャンルウルファで安全な建物に住む場所を見つける。そこでもっとも身近な家族や友人、治安関係者が面会できるようにすればいい。彼が住む場所の安全は政府が確保しなければ、私たちではできない。兄は政治犯である。彼は色んなあだ名を付けられた。乳児殺しとも言われた。そういう扱いを私たちはうけいれられない。彼には政治的な個性がある。ここでの血の争いを止められる最も偉大で影響力のある人物だ。ここで平和が生まれるのなら、アブドゥッラー・オジャランなしでは有り得ない」
■「武器を手に取ってはいない」
何千という人を殺害したとして重大終身刑の判決を受けたオジャラン被告が無実であると主張するメフメトさんは、トルコ大国民議会で設立される真相究明委員会で調査されることを望んでいる。
「私たちは、この委員会が調査後に出すどんな結果も受け入れる。兄はとても協調的な人間である。私とは2才違いで、私たちは一緒に育った。ここウルファで、そしてどこにいっても、兄の動向を見守らざるをえなかった。兄はこれまで乳児殺しなどと呼ばれているが、本当にひどいことだ。兄は今までに蟻一匹も殺したことがない。道で見つければ、踏まないようにしていた。兄が実践したことは政治的な戦いだ。彼は決して乳児殺しなどではないし、これまで武器を手にしたこともない。一度も引き金をひいたことがない。私はこのことを確信している。今後は誰も悲しみの涙を流すことがないよう望んでいる。痛みは経験した者だけが知る。権力の座にあるものにはこの痛みはわからない」
■「家族には1クルシュも渡さなかった」
また、兄であるアブドゥッラー・オジャランが自身の金は1クルシュも持っていなかったと話し、「100万ドルの資産をもつと言われている兄だが、噂とは反対に家族や周囲の者にはこれっぽっちも利益を与えなかった。彼の手で大金が動いたが、自身のためには一切使わなかったし、家族には1クルシュさえ渡したことがない」と語った。
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( 翻訳者:湯澤芙美 )
( 記事ID:21982 )