イスラエル報道:シリア大統領が“惨劇”を繰り返すと脅迫
2011年04月01日付 al-Quds al-Arabi 紙
■イスラエル報道:バッシャール・アル=アサドが1982年のハマー市での父親の”偉業”を繰り返すと脅迫
2011年04月01日『クドゥス・アラビー』
西欧諸国の外務省は、今週ダマスカスで起こっている出来事に大きな関心と警戒を寄せた。実際のところ、NATOはリビアでの戦闘に忙殺されているが、世界の視線はここ最近シリアに対して注がれている。というのも、シリアは間違いなく2011年の”アラブ諸国民の春”において鍵となる国だからだ。
2000年代初頭には、不当ながらもアラブの開放の象徴だったバッシャール・アル=アサド大統領が、1982年2月に彼の父親がハマー市でためらうことなく国民を虐殺したその“偉業”を再び繰り返すと今日脅しているとは、何と矛盾したことであろうか。2000年6月、私は新聞記者として故ハーフィズ・アル=アサド大統領の葬儀を取材し、1971年以降権力を握った同氏の亡き骸に付き添った群集の中にいた。民衆は指導者の死を悼み、涙した。その同じ民衆が今週半ば、同氏の息子の統治に対するデモのためにダマスカスの通りへと繰り出した。そもそも彼らは、シリアを支配し、人口の12%以下を構成するアラウィー派の人々である。
今週半ば、シリア指導部は世界に対して、同政権を支持する国民の数を示そうと決定した。ダマスカスの中央広場に「大統領、我々の魂と血をあなたに捧げる」とシュプレヒコールをあげようと数十万人が集まった。数千人の人々は、願わくは世界の中で自分たちが混乱に陥らないよう、またデモという言葉を口にすることが抗議活動〔と受け止められ兼ねない〕との思いから、大統領の写真を携えてきた。アレッポでも同様の大統領を支持するデモが行われた。シリアから放送された公式映像では、3月18日に騒動が始まったダルアーから数日前に密かにもたらされた映像とは正反対の様子が映し出されている。
アル=アサド大統領は、ダルアーでの騒動勃発から約二週間、自身に拍手喝采を送る人民議会を通じて国民と向き合う水曜日という日を待っていた。彼らしくなかったが、同大統領はスピーチのなかで、自信を誇示しようと二度ジョークをとばし、笑った。だが実際には、その様子は〔事態に〕神経質になっていることを示していた。同大統領は何も約束しなかった〔エジプトの〕ムバーラクや〔チュニジアの〕ベン・アリーとは違って、二年前に既に改革を約束していたのだが、そのペースは非常に遅いものであった。
イエメンのアリー・アブドゥッラー・サーリフ大統領のように、アル=アサド大統領の元には「我が国における昨今の出来事は、世界の他の諸地域からもたらされた外国の陰謀である」と疑う者がおり、そこでいう外国とはイスラエルを意図している。同大統領は、「我々の敵は、シリアを侵害し解体するために組織的に動いている。敵はイスラエルの筋書を我々に押しつけようとしている」としながら、「我々は対決を急いでいるわけではないが、もし今日我々に戦いを押し付けようとするなら、大歓迎だ」と脅迫することも躊躇わなかった。
しかしながら、特にワシントンポスト紙が今週半ばに報じたところによると、イスラエル政府にとってアル=アサド体制はイランやヒズブッラーを支援しているにも関わらず、イスラエルを安心させる存在となっているという。なぜなら、アサドが両国間国境の平穏に配慮し、諸合意を尊重しているからである。
(後略)
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( 翻訳者:松尾愛 )
( 記事ID:22014 )