Taha Akyolコラム:平和的なメーデーは正常化の模範
2011年05月02日付 Milliyet 紙

5月1日をこうした形で祝う人々を私は祝福する。何を言わんとしているかというと・・・(5月1日に)衝突がなく平和的であるということである・・・。
些細なことで押し合いへし合いする以外、社会を困惑させるような出来事は起こらなかった。
過去のメーデーで見られたような闘争、さらには流血沙汰の闘争に至るようなイデオロギー的な空気はなくなっており、今回はお祭りの様な雰囲気があった。
昨日(5月1日)のメーデーにおける最も重要な特徴はこれであった;衝突が起こらなかっただけでなく、衝突の文化が乗り越えられたことである!私がおめでとうと拍手を送る理由は、とくにこの文化的発展なのである。
メーデーのデモには大人と共に子供が参加していた。
広場にはお祭り的雰囲気が漂い、握りこぶしや闘争の雄叫びはなかった。
さて5月1日の式典に急進的なグループと共に、「様々な主義主張を持った」組織や政党の代表者も参加し、そうした人々の空気が支配的となっている。
かつてとは異なり、今日ではトルコ革新労働組合連合(DİSK)、トルコ労働組合連合(Türk-İş)、トルコ真の労働組合連盟(Hak-İş)が共に行進している。

■変化する言葉

発表された「共同声明」にも、かつての怒りに満ちたそして闘争的な「潰してやる、力ずくで奪ってやる、くたばれ」という表現はなかった。掲げた要求は妥当なものであったため、様々な組織が署名を行うことが可能になった。
以前はこうであったのか?(かつて)一部の声明では、他組織に対し宣戦布告を行っていた!
穏健かつ適切な表現を用いることで団結へと繋がっているのだ。我々の最大の文化的利益は、我々がこのことに(かつては過激な言葉を用いていたことに)気付かないでいたということである。
平和民主党(BDP)の人々が自身のシンボルとともに式典へ参加したことも嬉しかった。私は、こうした正常化された言葉をいずれ人々が学びとることになるだろう(インシャッラー)、と期待していたのだ。
多元主義の、様々な主義主張を持った者たちが団結することの利点はまさにここにある。かつての急進派にさえも「過激な言動を取らせないように」するのである。
壇上での演説をアーティストらに任せていることから、これらが正常化されたことがわかる。戦いの雄叫びをあげたり、拳を振り上げる扇動的な演説は行われなかった。
今年のメーデーは、組織の面からも、様々な主義主張の人々が調和を保っていた点からも誠に素晴らしかった。そのため、「正常化の模範」と私は呼び、拍手を送るのだ。

■(暴力を)止めよう、話し合おう…

全ての成熟した民主主義国家や福祉社会において、メーデーは「抗議」であり「異議申し立て」である。中国、キューバ、シリアでの5月1日は「軍のパレード」のように行われるか、もしくは禁止される!
タクスィムでは数グループが鎌と槌(共産主義のシンボル)、マルクス、エンゲルス、レーニンのポスターを掲げていた。正常なことである。
民主的福祉社会においては、パリの中心で農民による革命のためスローガンを叫ぶ毛沢東主義者や、また、100年ものあいだ「継続する革命」を期待するトロツキー主義者を見かけることができる。
何十万人と共に抗議を行い、スローガンを叫び、体制への不満を解消するのだ。
集まろう、話し合おう、暴力に訴えないことを条件に。
トルコはこうした方向へ進んでおり、正常化へと向かっている。正常化と自由はそれぞれを支えながら、共に発展するのだ。
このプロセスにおいて、すべての労働組合の貢献は大きなものであり、皆様に祝意を申し上げる。
特に、DISKに対して祝意を申し上げたい。なぜならDISKはかつて「妥協なき階級サンディカリズム」と呼ばれる堅固で闘争的な過去を持っていた。組織を変えるという困難なことをやってのけたのだ。DISKは正常化したし、さらにタクスィム広場で行進をしていた。DISKリーダーのスレイマン・チェレビ氏は、共和人民党で政治家として活動を始めており、彼の成功を祈っている。
メーデーで広場に集まり暴力を起こさなかった皆様に祝意を表する。暴力への余地を与えなかったのであるから。

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( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:22345 )