■再びビン・ラディンについて
2011年5月12日『アハラーム』
【アブドゥルムンイム・サイード】
今週の初め、ウサーマ・ビン・ラーディン(ビンラディン)の死についてのコラムが出たが、私が思うに、私の名において、そしてアハラーム紙の名において釈明しなければならないのは掲載された数字が思わぬ混乱を招いたということである。
アハラーム紙のサイトでウサーマ・ビン・ラ―ディンはテロリストかそれともジハード戦士かという調査を行ったのだが、25%という少数派があの男はテロリストだと言い、63%という多数派がジハード戦士と見なしたという結果が発表された。しかしその後起きたのは、数字の逆転である。(25%と63%であったのが)数字は52%と36%に変わって多数派は少数派になり、状況は逆転したのだ。あのコラムはすべて無意味になってしまった。
しかしながら多数派の姿勢について私が驚きを表明するには、おそらくさらに1週間待つことが必要だったのだろう。というのは私はウサーマ・ビン・ラ―ディンがこのような形で賞賛されようとは思ってもいなかったからである。サラフィー主義者たちが公の場で彼の魂のために礼拝を行うとは。
しかし本当の衝撃は次のような形でやってきた。コラムにコメントを寄せた読者の多くが問題の核心にまったく触れなかったのだ。それはコラムでもその他の記事でもいつものことなのだが、今回は無視できないほどに事態は深刻であった。
私が言いたかったのは、(それだけではないが)世界中で知られることになったあの有名なルクソール事件でエジプト人を殺害し、その後もタバ、シャルムッシェイフ、ダハブで「ジハード戦士たちの長」(ビン・ラーディン)に従うテロリスト集団の虐殺が起きたのに、その男がなぜこのような賞賛に値するのかという点だ。
ウサーマ・ビン・ラ―ディンが殺害したアラブ人、イスラム教徒のリストは、とてつもなく長い。イラクでザルカ―ウィ―が行ったように遺体を切断するなど、残忍さを見せたものもある。それどころかシーア派など他の派に属するならばモスクまでを爆破してみせたのである。
ウサーマ・ビン・ラ―ディンとそれに従う諸組織はヨルダンやモロッコ、レバノンなどのイスラム教徒の国さえもテロ行為の対象から外しはしなかった。重要なのは、ビン・ラ―ディンの行為を否定するには人道主義や一般市民の保護の重要性を信じる必要などないということだ。彼がイスラムに、そして世界中のイスラム教徒に何をしたかを見るだけで充分である。
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( 翻訳者:八木久美子 )
( 記事ID:22465 )