Murat Yetkin コラム:AKP、MHP、PKK
2011年05月15日付 Radikal 紙
12人のPKKメンバー殺害は緊張を更に高めた一方、民族主義者行動党(MHP)の国会入りを危機的な状況にしている。
平和民主党(BDP)の支持する候補者を紹介するため数万人が参加する集会がディヤルバクルの駅前広場で行われ、その後参謀本部のインターネット・サイトである発表が行われた。
シュルナク県ウルデレ郡近郊でイラクからトルコへ入国しようとしたPKK過激派の一団と治安部隊の間で衝突が起こり12人のPKKメンバーが殺害された。PKKの広報組織フラト・ニュース・エージェンシーによる情報と照合したところ、戦闘は5月12日に始まって昨日(14日)の朝終結し、トルコの特殊部隊がイラク領内で追跡行動を始めたことがわかっていた。参謀本部の発表で戦闘後高射砲、ロケットランチャーなどの武器が獲得されたという情報から、奇襲を受けたPKKメンバーが大きな奇襲の準備をしていたと考えることもできる。
■アメリカとPKKについての議論
この進展の前にアル・カーイダの指導者オサマ・ビン・ラディンがアメリカの特殊部隊によってパキスタンで殺害された後ある議論が起こった。ジェミル・チチェキ副首相が、トルコがPKKに関して望んだ支援を得ることができなかったと述べると、フランシス・リチャルドーネ在トルコ・アメリカ大使は「我々がやらなければ誰がやるのか?」と説き、アメリカが偵察機と人工衛星によって得た情報のコストも年4億ドルに達していることを明らかにしていた。
■イスラエルへ第2のマーヴィ・マルマラ号派遣
議論の舞台裏ではイスラエルへの第2のマーヴィ・マルマラ号派遣についてアメリカ議会との緊張も始まった。この議論の後、トルコでの活動に備えていると見られるPKKメンバーのグループに対し越境の際に攻撃が行われたことが注目されている。
このPKKグループが、影響をもたらし流血を伴うであろう活動のための準備をしていると述べることも根拠のないことだは思われない。イムラル島にいるPKKの指導者アブドゥッラー・オジャランは弁護士たちと行った直近の会見で、「この夏はとても重要だ。私は18年間ブレーキをかけていた、いわば戦争を冷却させていた」と述べていた。続けた言葉は次のようなものだった。「私はアメリカに警告する。アメリカも知っているであろうが時代は変わった。クルド人は昔のクルド人ではないし、私もシェイフ・サイトではない。」オジャランはその後6月15日、すなわち6月12日の選挙直後に「同意に至らなければ」内戦をもって政府を脅迫しており、一方でイムラル島で政府要人らと重要かつ深刻な会談を行ったと述べていた。シュルナクの背景にはこのような進展があった。
■PKKと合意の兆候はなし
タイイプ・エルドアン首相は、アラブ世界において最近ではシリアも巻き込んだ混乱の形成がトルコの外交関係にどのくらい影響を及ぼしたか気づいている。クルド問題も、それとは別個のものとして同時にPKK問題もトルコが乗り越えるべき問題のリストの筆頭を占めている。PKKと同じ基盤を共有するBDPが選挙過程でついにトルコの指針との関係を絶ち、自分の世界に閉じこもったことが見られている。
6月15日にPKKと合意に至る道の兆候は明らかになっていない。エルドアン首相も公正発展党(AKP)政府(新たに発表された共和人民党(CHP)の綱領からケマル・クルチダルオールCHP党首も同じ立場にいると見られる)はクルド問題全般を民主化と憲法改正のプロセスで認識しており、これは正しい。しかしこの常套句がPKKと同じ基盤を共有する諸団体から見て認められるか否かはわからない。
このような状況である一方AKPは、MHPが10%の足切り条項以下に留まるために作られたことが極めて明白な陰謀を不快に思う一方で楽しんでいるような印象を与えている。
おそらく、大統領制という結論に至るであろうオーダーメードの憲法で6月12日の選挙が決着するという目標は、クルド・ナショナリズムが代表されトルコ・ナショナリズムが代表されない議会がどれほど危険な方策であるかをAKPが認識することを妨げている。しかし実際の危険はこれなのだ。
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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:22494 )