Fikret Bilaコラム:首相新発言「クルド問題は存在しない、あるのはクルド同胞の問題」
2011年05月01日付 Milliyet 紙
レジェプ・タイイプ・エルドアン首相が選挙演説の場で、クルド人に関する新しい言い方をするのを我々は目撃している。
首相はあえて「クルド問題は存在しない。クルド同胞の問題が存在するのだ」と述べている。「クルド問題は存在しない」という言葉が言い間違いではないことを首相は、繰り返し行った演説で明確にした。トルコにおいて「クルド問題」はなく、「クルドの人々の問題」が存在するというエルドアン首相の発言は重要な変化と見なされるべきである。
■「クルド問題が存在する」との発言
歴代首相のうち、はっきりと「クルド問題が存在する」と述べたのはタイイプ・エルドアンだった。
2005年にディヤルバクルの人々に向けて行い、大きな反響を巻き起こした演説において、エルドアン首相は「クルド問題は存在する。そして、より一層の民主主義によって解決される」というメッセージを発した。ディヤルバクルの人々に対して首相は「どうしても名づける必要があるならば、クルド問題はトルコ国民の一部のではなく全員の問題である」と述べ、南東アナトリア地域において大きな支持を得た。
エルドアン首相のこのアプローチとそれに続く「クルド問題解決策」のプロセスは、長年にわたり、この問題における議論の軸を成してきた。エルドアン首相が「国民統合と友愛」計画と名づけた解決策は、「ハブル国境事件」のために反感を集め始める、やがてブレーキがかかった。たしかに、トルコラジオ・テレビ協会の24時間クルド語放送を筆頭に重要なステップが踏み出され、言語統制の廃止、表現の自由の拡大を背景に新しい施策がなされた。しかし、これらの改革は、クルド労働者党‐平和民主党路線の観点から期待されていたような「納得のいく」ものではなかった。
■細かいが重要な調整
エルドアン首相がかつて行った「クルド問題は存在する」という発言と同様に、「クルド問題でなくクルド同胞の問題が存在する」という発言も注意して分析されるべきである。
「クルド問題」とは、クルド労働者党‐平和民主党の路線からすると本質的には「民族問題化、第二の民族の存在の承認」という問題である。今日の指標における「クルド問題」とは、平和民主党と民主社会議会(DTK) tによって「集団の権利の問題」と見なされ、「自治区」の要求に焦点が当てられている。
「クルド人同胞の問題」といった場合、定義がかわってくる。こう言った場合、問題は、集団的権利としてではなく、「個人の権利、自由」といった観点でみられることになる。まさに、これが首相のあたらいい言い方での定義である。首相が、選挙前におこなった、この小さくみえるが、重要な調整は、(PKKの)テロと、それが生み出した政治化のプロセスの結果として、国家が至った立ち位置に近い。
この路線は、問題を文化的、個人的なものとして扱おうとする路線である。集団的権利や、自治区といった概念には門戸を閉ざす。この路線からのアプローチでは、母語は学ぶことは権利となる。しかし、その言語を教育言語としてはならない。クルド語の教室は開かれるが、それを教える言語はトルコ語となる。妥協できる最終点は、クルド語を選択科目にすることまでである。
■ムシュでの演説
エルドアン首相が、昨日、ムシュの広場で行った演説はこの観点から、重要だ。エルドアン首相は、ムシュでの演説で、「クルド問題は存在しまし。クルド同胞の問題がある」と再び述べた。「一つの国民、一つの国家、一つの祖国、一つの旗」というタイトルを詳細に述べるなかで、どうしてクルド問題ではなく、クルド同胞の問題があるという言い方に変えたかを説明した。
■中央政府の考え方
この言い方は、中央政府の言い方だということもできるだろう。クルド・アイデンティティとその文化を認め、その存在と継続には反対しない、しかし、それは文化面での個人の権利であり、個人の自由の問題に限定されると主張する言い方である。
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( 翻訳者:吉澤旅人 )
( 記事ID:22502 )