コラム:ナクバと専制
2011年05月16日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ナクバと専制

2011年05月16日『クドゥス・アラビー』

【イリヤース・フーリー(レバノン人作家)】

専制政治こそナクバ[=1948年のイスラエル建国に伴うパレスチナ人の故国喪失]の別の一面であり、イスラエルの安全保障は40年来東アラブ諸国を覆ってきた専制の腐敗の成果であるなどということは、ニューヨーク・タイムズ紙に寄せたラーミー・マフルーフ氏の声明を読まずとも周知のことだ。[訳注:「シリアに安定がなければ、イスラエルにも安定はない」との同氏の声明を指す。参照記事→http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20110511_103530.html]

パレスチナ人にとってナクバは記憶ではない。それは63年の間続いている悲劇的な現在なのだ。ナクバの後もパレスチナ人は自らの運命に屈しなかったことを忘れるのは過ちだ。アラブの体制こそ、パレスチナ人を抑圧し、彼らが大義を取り戻す試みを打ち砕いてきた。さらにはパレスチナの大義を取引材料にして、汚職にまみれ、政治および経済の決定をマフィアが支配する機構に基づいたアラブ諸国の専制体制を、正当化する道具としてきたのだ。

だがラーミー・マフルーフ氏は、偽りの愛国心の仮面を脱ぎ、占領国家[イスラエル]に専制政治が提供している大きな奉仕について、誰もが知っている秘密を暴くことで、ゲームの内幕を全て晒してしまった。そして、レバノンから撤退する前夜に、シリアの治安責任者たちの一部が発したのと同じ、懇願と脅しが入り混じった旋律を再び奏でたのだ。

去る2月、腐敗し、死に体となったホスニー・ムバーラク政権が倒れた時、イスラエルは戦慄し、“中東唯一の民主主義国家”である自国が、他のアラブの専制体制と一つの塹壕の中にいることに気づいた。

エジプトの革命によって、言葉は意味を取り戻し、専制とイスラエルとの隠ぺいされた関係が暴かれた。専制政治こそ、占領が継続する条件であり、同様にイスラエルの覇権こそが、専制が永続する条件なのだ。

この等式こそ、アラブの専制体制が頼りにできる最後の支えとして、マフルーフ氏が言及したものだ。しかし、このシリア人の億万長者にしてバッシャール・アル=アサド大統領のいとこに悟れなかった点がある。それは、イスラエルはもはや、公表されているにせよ隠ぺいされているにせよ、同盟関係にある体制を救済する力がないという点だ。だからこそ、イスラエルの指導部がアメリカに、エジプトの独裁体制を救うよう要請したのは、無駄に終わったのだ。同様の試みをして失敗した、サウジアラビアの立場とまったくそっくりだ。

マフルーフ氏は何ら秘密を明かしてなどいない。それは誰でも知っていることなのだ。私はここで[レバノン内戦時の]テッル・ザアタルの虐殺やキャンプ戦争の醜聞等々について話そうとは思わない。ただ、40年間、静まっているゴラン高原の戦線を見れば、マフルーフ氏が現状を述べただけであることが分かるとだけ指摘しておきたい。だが民衆が革命を起こそうと決めたなら、誰にも専制体制を救うことはできないのだということが理解できなかった時、マフルーフ氏は致命的な誤りを犯したのだった。

(中略)

アラブ民衆革命なしには、[今年のナクバ記念日でのパレスチナ人達による各地での]行進は起こり得なかった。いかなる政権であれ、自由とパレスチナをバーター取引することはできない。パレスチナとは、自由の別名であるからだ。パレスチナ人の蜂起は、エジプト人、チュニジア人、シリア人、イエメン人、リビア人による、専制政治からの解放のための蜂起の一部なのだ。

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( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:22532 )