Taha Akyol コラム:公正発展党とクルド人
2011年05月21日付 Milliyet 紙
参加民主主義党(KADAP)党シェラフェッティン・エルチ党首や、左派として知られるアルタン・タン氏(訳者注:クルド人作家、政治家)や右派として有名なケマル・ブルカイ氏(訳者注:クルド人作家、政治家)らは、暴力とは絶えず距離を置いていた。このため、メディアでも、「節度ある政治家」扱いされている。しかしながら、彼らのような人物の大半はアブドゥッラー・オジャランよりも熱狂的で極端な政治観の持ち主だ。特にケマル・ブルカイ氏など、オジャランのことを「トルコ人の国に売られた」と表現している。
そのなかでも、シェラフェッティン・エルチ党首がディヤルバクルでの演説でエルドアン首相を攻撃しつつ、どんな発言をしたか。それは次のとおりだ。
「クルド人の血を流した者はクルドの血に溺れる。いかなる民もそうであるように、クルド人にも言葉があり、土地があります。クルド人は今日、勝利に非常に近い。我々は6月12日、公正発展党(AKP)に大打撃を与え、アメド(ディヤルバクルの別称)から駆逐する予定です。自由の旗をアメドの城壁に掲げるのが私たちの義務なのです。」
党首の発言は、「くたばれAKP、殺し屋エルドアン」といったスローガンで歓迎されたという。(5月20日タラフにて)
■宿敵AKP
彼らがAKPを第一の敵とみなしている理由は、AKPが地域に広い票田をもっていること、そして狂信的な拝外主義者たちが望む「地図」が投票により実現するのをAKPが妨害しているからだろう。
ではAKPの施策はどのようにおこなわれているのか?
故トゥルグット・オザル元大統領が望んだ形でおこなわれている。つまりAKPは保守的な価値観を通じて、中道・保守的クルド人層の中にシンパを作り上げているのだ。うまくやったものだ。
それと同時に、国民に実際的なサービスを口にした。地域への投資の流れをつくると。こちらもうまくやっている。
言葉使いについても同様だ。民族問題に対しては民主的問題解決と経済的な(投資)発展と銘打って対処している。
昨日(21日)エルドアン首相は、ヴァンでの集会において次のような内容の発言をした。「共通する精神的価値観は民主主義と経済である」と。
ヴァン集会に集った大群衆を、そして彼らの熱狂を、さらにはエルドアン首相の「ヴァン市民でありクルド民族である同胞たち」という発言とクルドの人々への温かいあいさつを、満足しながらTVで眺めた。
共和人民党(CHP)のクルチダルオウル党首がエラズーでザザ語であいさつされた際、ザザ語で返したのももちろん良かった。CHPも地域で「問題解決」をすべきである。
■バフチェリの発言
党内の内ゲバが、トルコ全体を包括する物の考え方を阻害するようなものであってはならない。民族主義者行動党のバフチェリ党首は、信じられないような誤りを犯してでエルドアン首相をダーマト・フェリト・パシャにたとえたが、彼は独立戦争でムスタファ・ケマルが、クルド人にどのように「条件」で対処し、彼らを味方にしたかを、「ケマル・アタテュルクの演説集」やアマスヤ・プロトコルを詳細に紐解いて学んだほうがよい。
民族主義者行動党は少なくとも、ズィヤ・ギョカルプをこの問題解決のインスピレーションの源として取り上げるのもよいだろう。亡きアルプアスラン・トゥルケシュ(民族主義者行動党党首)すら晩年はギョカルプの言葉を借りていたのだ。ギョカルプがディヤルバクルで出版した、キュチュク・メジュムアを引いていた。
クルド人を包括するアプローチはトルコを一つにし、クルド人を怒らせるようなアプローチは分離主義を増長させる、ということをよく理解すべきだ。
■エルチ党首は「土地」を望んでいる
(「土地」を望んでいるというのは)共生のつながりを徹底的に分断したいと望んでいるからだ。
そのため「AKPをこの地域から追い払います」などと言い、100箇所近い選挙事務所に火炎瓶で攻撃している。CHPが票を獲得しはじめれば、彼らへもそうするにちがいない。
ある種の「民族浄化」の手始めに「政治の浄化」をおこなっているのだ。投票に基づかない「土地」の地図を作りたいがために。
エルチ党首の「クルド人にも言葉と土地がある」という発言...、言葉がなにを指すかは明快だ...。
しかし「土地」とは一体どこなのか。地理上のどこが「トルコの領土」であり、そしてどこが「クルドの領土」となるのか?
線をどこから、いかに引くのか?何百万人をいかに分離するのか?
現代において、狂信的な排外主義は政治的狂気である。
解決方法はただ一つ、共生を容易にする穏やかなアプローチだけだろう。
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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:22594 )