Hasan Cemalコラム:クルチダルオールCHP党首のディヤルバクル集会
2011年06月01日付 Milliyet 紙
共和人民党(CHP)のクルチダルオール党首は昨日、ディヤルバクルのイスタスヨン広場にいた。集会には多くの人が集まったのだろうか?
いや、そうではなかった。
少ない参加者は、6月12日のディヤルバクルにおけるCHPの得票数を表していると考えることができる。それでは、これにクルチダルオール党首とCHP執行部は失望したのだろうか?
そうは思わない。
CHPはバイカル元党首の時代に比べ今回の選挙で新しくさらにラディカルな言葉でクルド人有権者の前に登場したとしても、これほど短期間で影響力をもち説き伏せ、また、例えばディヤルバクルから議員を選出するなどという可能性は低いのだ。
現実的に期待するところはない。クルチダルオール党首もこの状況に気付いていないとは考えられない。
他にも疑問がある。
ディヤルバクル集会でクルチダルオール党首は全く新しいメッセージを伝えたのだろうか?この答えもNoだ。
CHP党首はクルド問題に関し新しいことは何も言わなかった。それどころか今日まで言ってきたこと全てを繰り返すことすらしなかった。ディヤルバクルでの演説に向けてもっと良い準備ができたのではなかろうか…。
しかし忘れないでいただきたい。
CHPは9年という長い歳月を経て初めてディヤルバクルで選挙集会を行ったことになるのだ。誇張しないということを前提とした上で重要なのは上記のことである…。
口にするのは簡単だが、丸9年だ!
綱領に社会民主主義を掲げた党が、バイカル元党首のCHPが、トルコの火急の問題の中心地であるディヤルバクルでこれほど長い間一歩を踏み出さなかった…。民主主義と社会民主主義の両方についてこれだけ語りながら、クルド問題から遠ざかり、クルド問題に対しこれほどまでに疎遠となってきましたね!
バイカルのCHPはまさにこれであった。
9年という歳月の後、選挙のためディヤルバクルを訪れたクルチダルオール党首のCHPによって変化し始め、終わりに近づく可能性を含んでいるのは、この「古バイカル精神」である。バイカルは常に問題化の方に目を向けていた。長年全く変わることはなかった。
クルド問題に関するものとして、おそらくこの最悪の例は2009年におけるクルド問題解決または民主的解決に対する対処であろう。エルドアン首相が2009年夏に心から望み開始した和平プロセスの妨害では、バイカル元党首が主役を演じたと容易にこたえうる。このことに関しエルドアン首相と政府の過ちももちろんあったのだが。
しかし、クルド労働者党(PKK)一行が和平表明の一環として2009年10月にカンディルから国境を越え投降したハブル事件の後、民族主義者行動党(MHP)バフチェリ党首と共に目覚ましい働きをしたバイカル前党首は、和平プロセスに最大の打撃を与えたのだ。これはバイカル元党首が社会民主主義との関わりが全くなくなっていたことを示す印象的な一例である…。
ケマル・クルチダルオール党首はというと近頃バイカル元党首とは違い、問題化ではなく解決に目を向け始めたという姿勢を示している。他の言い方をすると、クルド問題に積極的に関与しているのだ。クルチダルオール党首が辿り着いたこの地点は、和平と民主主義の観点から大いに強調する必要がある。
9年という歳月の後、CHPがディヤルバクルで選挙集会を行ったこという事実が、集まった人の数よりも重要視されるべきである。クルチダルオール党首はクルド問題解決に関し、月曜日の夜NTVで質問に答える中で考察に値するメッセージを送った。
要点は次の通りである。
6月12日の後トルコ大国民議会(TBMM)で議席を獲得した政党から2議員ずつ参加し委員会を設立し、これらの政党の間で設立される賢人委員会がクルド問題解決のためのロードマップを準備すればよい!
本当にそうなったなら…。
全政党、でも特に公正発展党(AKP)、CHP、平和民主党(BDP)が共に手を取り合い奮闘せず、また各政党間で有益な対話の基礎を築かなければ、この国は平和と民主主義を今まで同様希求し続けることになろう。
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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:22741 )