アレヴィー派CHP候補とのインタビュー
2011年06月05日付 Yeni Safak 紙

選挙が日に日に近づくこの数日、活発に活動を行う党首たちの間では興奮が高まっているが、われわれは舵をほかの方向に取り、40年間トルコ民謡を歌い続けたサバハト・アッキラズ氏へゆっくりと向かっている。共和人民党(CHP)イスタンブル第3地区から立候補したアッキラズ氏には、芸術や女性、そしてアレヴィー信仰の3つの分野で実現させたい一連の改革がある。その勇気は何年もの間市民と密接な関係を作ってきたことから得たという。人生の大部分をドイツで過ごしたこの音楽家は、「敬意と民主主義によって」あらゆる物事が解決されうると考えている。今週になって話し始められたこの3つの問題を、サバハト・アッキラズ氏の視点から見てみよう。

問:「私はいつも政治と関わらず過ごしてきました。ただトルコ民謡の中でいくつかのメッセージを伝えました」とおっしゃいました。政治と距離を置くために今までこれほど近づかなかったにも関わらず、なぜ今回このような決断をなさったのですか?

答:「芸術家はすべての人々を包み込みます。音楽は普遍的なものであり、何か一方の側に関わっているのではありません。すべての人々に関わっているのです。ここにはあなたがたを突き動かすものがあります。例えば、世界を巡り観光しているとしましょう。先進国の女性たちの生活クオリティーは非常に高いものです。しかし母国を見ると、生活のあらゆる領域で女性たちを目にすることができないように、ワーク・ライフも含めて同じ仕事をしているにも関わらず賃金を男性とは平等に得られないといったことも見受けられるでしょう。またアレヴィーのように、その数が何百万人と言われる集団のメンバーとして問題を見ているならば、その解決方法を生み出そうとするでしょう。同じように芸術家たちの問題もあなたがたは目にしています。私はそれらの解決方法は政治にあると考え、決断しました。」

問:あなたはそのような女性たちとお会いになったのですか?

答:「ええ、私はコンサートの後にバックステージで夫が自分を殴ったと話す女性たちを知っています。このようなことを分かち合い、そして目にしました。押し潰され、人生の裏側で踏み潰された女性たちを見てきました。学校教育における不平等に対してはいつも反対してきました。女性の殺害事件の数も非常に増加しました。それらの女性たちのために、ロビー活動を行う女性組織も見ました。しかしその女性組織が彼女たちのことを理解しているとは思っていません。」

問:それはなぜですか?

答:「これはエリートたちがおこなう仕事ではありません。そのような活動を女性たちが見れば、彼女たちは恥ずかしく思い問題を話すことができないでしょう。エリートたちは上から見下ろし、よそ行きの言葉で話しているのです。家々を訪れ座り語り合うかわりに、ホテルのロビーで問題の解決方法を生み出そうとしているのです。しかし私は女性たちと一緒です。彼女たちは私を信用しています。すべてのことを話してくれます。私の誠意を信じてくれているのです。」

問:以前に政治に参加するといった要望はありましたか?

答:「いいえ、ありませんでした。その必要性もありませんでしたし、意気込みもありませんでした。しかしケマル(CHP)党首とともに、非常に前向きな進展がありました。社会民主主義が再びその意味を獲得しました。CHPは党の内部でも回帰し始めました。そしてこの時、私も今がその時だと思ったのです。」

問:政治はあなたにとって新しい探求ですか?

答:「おそらく年齢に関わる状況です。50歳を超えました…。このことを探求と呼ばず、自然な流れと言いたいです。フォークソングはそもそも政治的な音楽です。ちっとも政治的でないように聞こえますが、市民の言葉なのです、そのため積極的な政治は私には難しいことでも新しいことでもありません。」

問:人々とバックステージで話すことは、街頭に出て問題を聞くことと似ていますか?

答:「今はもっと難しい状況です。以前はバックステージで、私の周りにいる人々から聞いていました。(しかし)今は外に出て中小業者を歩いて回っています。家々を訪ねているのです。今は以前よりもっと心を痛めています。」

問:では、女性たちの政治化をどのように捉えているのですか?

答:「私はそういう立場ではありません。女性も男性もまず人としてみています。選挙や被選挙の権利は先人がわれわれに与えてくれたものです。その権利は、結果的にわれわれを市民たらしめています。人として、尊厳と平等の権利を有して生活することと、市民権を得ることはわれわれの権利なのです。国家もそれをわれわれに享受させなくてはなりません…。」

問:人生の中で女性であることに関わる問題を経験したことはありますか?

答:「私は芸術家です。今までの人生を通して良いことも悪いことも経験しました。しかし男性が優勢な音楽の世界で女性として成功することや、その中に長く留まることは難しいことでした。あらゆる手段を講じてそこに留まりました。音楽的なリスクを負ったときもありました。(しかし)ただの一度も後悔することのない40年間を過ごしました。」

問:あなたは芸術家やアレヴィー、そして女性についてお考えになっています。これらのアイデンティティの内、どれが最優先事項ですか?

答:「女性ですから女性であることが最優先事項ですし、アレヴィーですからアレヴィーであることが最優先事項です…。アレヴィーの問題もたくさんあります。このことをヨーロッパで暮らした人間として言います。心が痛みます。ヨーロッパには教会のとなりにモスク、モスクのとなりにジェム・エヴィがあります。しかしこの権利はトルコにはありません。私が見る限り、この3つは互いに不快な思いをさせることはありません。国家はアレヴィー派の礼拝所を認めなければなりませんし、それらに公共サービスを行うことは当然です。税金を徴収するときアレヴィーが他の市民と区別されないのなら、軍に徴兵されるときアレヴィーの若者たちが区別されないのなら、そして国家に対しアレヴィーがあらゆる種類の務めを過不足なく行っているのなら、国家ももはや彼らの要求に背を向けることはできないはずです。要求は実現されなければなりません。これは社会の平和のためにも重要なことなのです。」

問:アレヴィーとしてあなたはどのような不足を解決したいと考えているのですか?

答:「ジェム・エヴィはありますが、それらが合法化することが必要です。『イスラムに強制はない』と言うならば、学校での(宗教科目の)授業も必修ではなく選択とする必要があります。CHPの選挙公約にあります。信仰を国家が保証すると明言されています。そもそもすべての政党が政党の枠を越えた組織を結成すれば、この問題は2時間で解決できます。もはや人々は変化を望んでいるのです。変わらないものはないのです…。ことの本質は人々の間の垣根なのです。国会で作られる組織とともに、スンナ派イスラムとアレヴィー・イスラムの間で互いに無理矢理類似点を見出すことなく融和を確固とするプロジェクトを行うことが、私の最大の望みです。これを確実にする自信もありますし、経験も積み重ねています。」

問:あなたには芸術家と政治家というアイデンティティがあります。市民はあなたとどのように接しますか?

答:「まずはサバハト・アッキラズとして見ます。写真撮影をお願いされます。そのあと語り始めます。つまり今でもまずは芸術家、そのあとに政治家となるのです。しかし国会で働き始めれば、これもおそらく変わりうるでしょう。」

問:今日まで多くの芸術家が政治の世界に足を踏み入れてきました。しかしその多くが目に見えるような成功を得ることはできませんでした。その理由を考えたことはありますか?

答:「だいたい彼らは与党になれなかったでしょう!オスマン・ヤームルデレリ氏を訪ねたことがあります。オスマン・アーベイが生きていたなら、「場は準備できた、問題を解決しよう」と言ったでしょう。私としては、芸術家たちがほかの誰よりも成功するだろうと考えることが必要です。芸術家たちは市民がよく知っており、信用している人物だからです。彼らの一つの失敗は純朴すぎることです。容易に不機嫌になり、身を引いていきます。私は頑固です。問題が身に降り掛かれば掛かるほど、再び生まれ変わったように感じます。このため自分は成功するだろうと考えています。」

問:一人の芸術家の政治に対する見方をもってして、他の政治家とはどのような違いがありますか?

答:「はっきり言うと、政治家をそれほどよく知りません。しかし自分のことから話すなら、議員候補とは人々に対し通訳となるという意味です。私が政治についてわかったことはこのことです…。私は街頭でアイセルさんの話を聞き、彼女の要望を話します。政治家とはこれをプロの職業に至らせたものです。おそらく変化させることが必要なのは、議員があなたがたに託すのではなく、あなたがたが議員に託すことなのです。」

問:あなたは「政治は誠実なものではない」とおっしゃいました。あなたはどれだけ誠実になることができるのですか?

答:「言いましたね。(一同笑い)私は約束をしたのにそれを実行しない政治家たちを比喩したつもりです。私はここでどのように話そうが、国会でも同じように話します。恩義うんねんでなく、厳然と自由に私が決めたことを、人々は信用すべきです。今まで信用していないいかなることにも『はい』と言ったことはありません。これからも恥ずべき行動はとらないつもりです。」

■政治家になってもトルコ民謡を歌います

問:党首を始めとしてCHP内には多くのアレヴィーがいます。CHPは「アレヴィー政党」ではないのですか?

答:「アレヴィーはそんなにたくさんではありません。アレヴィーと思われるのはただ私だけです。このためアレヴィー政党とは言えないでしょう。私もアレヴィーシンパの活動はしてはいません。ただアレヴィー社会を代弁するよう努めているだけです。」

問:しかしCHPにアレヴィーの大部分が投票しています…。

答:「ええ、投票しています。そもそもほかの政党のことも見る必要があります。そこにはほぼアレヴィーはいません。いないと考えられていたり、政治を行う環境を見つけられないのです。」

問:あなたはアレヴィーをどの地理位置から見ているのですか?アナトリアからですか?それともヨーロッパからですか?

答:「ヨーロッパで暮らした人間のようにも、アナトリア出身の人間のようにも見るよう努めています。首相を『スンニーのレジェプさん』と呼ぶことがどれほど無意味なことであるように、これもまたそれと同じくらい私にとっては無意味なことなのです…。これは私には分離思考のように感じられます。ここにつけ込むことや、票を得ることに気を配るといったことはよいことではありません…。ケマル・クルチダルオール党首はアレヴィーで、レジェプ首相はスンニーであろうと、大切なのは彼らがおこなう仕事なのです。」

問:アレヴィーの政治家たちは成功していますか?

答:「彼らを代表して語りたくはありませんが、私は他のどの政党でもアレヴィーの候補者を見ませんでした。少なくとも血筋の上でアレヴィーである人物以外で、問題を伝える候補者が配されていたならば。(そういうことを)誰もまったく重視していません。両親はアレヴィーだが本人はアレヴィーでない。私はそういう人たちを血筋の上のアレヴィーと呼んでいます。」

問:人生の中でアレヴィーの問題をどれぐらい経験しましたか?

答:「スィヴァスにある私たちの村では、川を挟んで一方がスンニー、もう一方がアレヴィーの居住地となっています。アレヴィーとスンニーとして2世紀間ともに暮らしてきました。敬意や愛情のある場所で、私たちの村は他の村の鑑です。毎年夏には村へ行きます。そこに美しい石で家を建てました。スィヴァス出身の人たちの会話はすばらしいものです。(笑い)」

問:あなたはあらゆる層から好かれる芸術家です。しかし政治と言われるものはある「立場」を選ぶことです。これはあなたを不安にさせませんでしたか?

答:「私たちはそもそも分け隔てられ、よそ者扱いされ、押し潰され、問題を解決されることもなかった民です。世界を旅しました。人生にはターニングポイントがあります。私も政治でこれらの問題が解決されるようにと携わっています。なぜならもう見つかって当然なのです。ハジュ・ベクタシ・ヴェリのある言葉です。『信仰を理由に誰かを非難してはいけない』これに似たとても美しい精神的な光があります。アナトリアの人のマヤと呼ばれるトルコ民謡には愛情が込もっているのです。私が怒っているのは、政治から人々がこのような形で分離させられることなのです。」

問:CHPの選挙戦略プログラムには、候補者たちの振る舞いや発言に関するいくつかの項目があります。「女性にはバヤンではなくカドゥンと呼びかけなさい、ゲジェコンドゥではなく街外れと言いなさい」というふうに…。あなたはこれらをどれぐらい守りましたか?

答:「私はそれを読んでいません。あらあら、質問する人を間違えましたね。40年間市民とともに過ごしたのです。小さなステージから大きなステージへと降り立ちました。そのコミュニケーションは音楽的な愛情で作り上げてきましたから、前々から言葉遣いには注意しています。信用を立ち居振る舞いや敬意で得たのならば、見苦しいような振る舞いはそれ以降できないでしょう。次のことも伝えなければなりません。それらの項目があっても、ゲジェコンドゥはゲジェコンドゥです。そして女性(カドゥン)は女性(カドゥン)です。いくつかのエリート機関のメンバーが私に何かを命令したと言って、(それに基づいて)私がそうすると考えるのは、私のことをわかっていないからです。ゲジェコンドゥに住んだこともありますし、今でも父のタラビヤにあるゲジェコンドゥに泊まることがあります。あそこの人々は幸せな人々です。不幸な人々について話すときに、彼らに触れないことも少しおかしな話です。」

問:スンニーの人々はあなたとどのように接しますか?

答:「私は信仰を理由に誰も区別しません。神が『汝らを光から創造したのだ』とおっしゃれば、私は敬意を示します。あなたがたを知らない人々が、自分たちを似せるために圧力をかけたのかもしれないのです。しかしこのことでわれわれを分離させてはなりません。私は次のことに注意します。誠実さをもってこのこともはっきりと申し上げましょう。ふつうのスンニーの人へ尋ねてください。『アレヴィーの要求をどう思いますか?』と。『自由に信仰を守ればいい』と答えるでしょう。ふつうのスンニーとアレヴィーにとって差別はないのです。」

問:政治はあなたの人生を変えましたか?

答:「早起きし、めまぐるしいテンポの中で過ごしています。私にとっては二つのメロンを持っているようなものです。政治家のときでもトルコ民謡を歌います。トルコ民謡は私の市民との最大のコミュニケーションです。政治は私を新しい現実と向かい合わせます。説得力を行使しなければなりません。もっと多弁にならなければなりません。本来私はあまりおしゃべりではありません。政治の動きを追うよう努力しています。」

問:どのような政治を行うつもりですか?

答:「今まで行われていたような形で政治を行うつもりはありません。アマチュア的で確たる芯のある、そしてなにより大切なのは責任感のある人間になります。信じていないことに対し、どんな力も私に『はい』と言わせることはできないでしょう。国会は10月に始動します。10月までコンサートや人々の意見を集めるためにアナトリアの各地を訪問します。市民と多くのトルコ民謡を歌い、そして問題を共有して解決方法を生み出します。」

■トゥルグト・オザル氏を誠意をもって追悼します。

問:ご家族はみなCHP支持者でしたか?ほかの政党に投票したことはありましたか?

答:「メンデレス政権時代に村に学校ができました。その当時、父は民主党(DP)に投票しましたが、祖父は父に怒りました。父は政府が学校を作ったのでそのような選択をしたようです。よりよい公共サービスをするなら、その人物を支持する必要があります。ドイツから戻ると、アダパザルとドゥズジェの道路は一車線で、大変難渋していました。トゥルグト・オザル氏を今まで誠意をもって追悼します。」

問:では、あなたはずっとCHP支持者でしたか?

答:「私の考えにCHPはとても適合します。すべての人々を包みこみ、民主主義が解決できないことは一つもないと考えています。ケマリズムが誤った解釈で伝えられていると思っています。彼の改革者であり反帝国主義者の側面がないがしろのされています。彼の考えの運用上の誤りの報いは、われわれの政党とケマリズムに対してここ10年間帰され、このことも説明しなければなりません。新しいCHPは幅広い市民の層を一つに結束することに成功する新しい仕組みを提供しているのです。様々な考えの共有ということです。」

問:CHPがアレヴィーに近い存在であるにも関わらず、「支援してくれなかったし、問題も解決してくれなかった」とおっしゃいました。このような考えにも関わらずなぜCHPから立候補しようと思ったのですか?

答:「それはお話したはずです。このような言葉があります。『批判しても、正しい方にあれ』。本当に解決してほしいと思ってこの政党の中にいるのです。この党の中である意見を代弁しようという考えで決断しました。アレヴィーの件では会議にも赴き、問題を説明しました。『確認した』と言われましたが、解決にはなりませんでした。新しいCHPではかつての失敗を軽減可能と考えています。アレヴィーに関する要求は選挙公約に書かれました。私の本来の任務はこの要求を言葉にし、追求することです。それと同時に芸術家でもあります。10年間音楽産業は衰弱したままです。ちょっと前に階段から降り、泣き出してしまいそうでした。私は小さい時に有名になりました。10代のころはレコードがありました。ウンカパヌは活気に溢れていて、何千人もの人々がそこで働いていました。」

問:あなたはこの問題に対し、どのような解決方法を考えているのですか?

答:「海賊盤は最大の問題です。音楽学校を卒業した若い人たちは、無職であったり茶店で働いていたりなどしています。2年間諮問者組合で働きました。これらの問題のすべてをよく知っています。著作権料はテレビなどからはまったく支払われません。文化観光省が分離して文化だけの省庁が作りたいです。芸術家たちが社会保障内に受け入れられること。保険金の半分が省庁によって支払われること。文化サロンを設立するよう県知事府や地方自治体を動かすこと。そしてそこで若い芸術家たちが直面している利用施設の問題を解決すること。舞台制作者や芸術家の支援者たちを組織化するために労働組合とともに取り組むこと。スポンサーからの資金を一カ所にプールし、著名人の独占を廃し、みなが活用できるようにする、といった主たる希望があります。」

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:22777 )