MHPバフチェリ党首のディヤルバクル演説、「母語教育で満腹になるのか?」
2011年06月06日付 Zaman 紙


民族主義者行動党(MHP)は、16年ぶりにディヤルバクルで集会を開いた。11年ぶりにこの街を訪れたデヴレト・バフチェリ党首は、「連帯・共生」のメッセージを訴えた。

バフチェリ党首は、「あなた方はこの国の真の所有者のうちの一人だ。いかなる市民もこの国で黒人のような扱いを受けない」と述べ、母語問題について特異な見解を語った。「あなた方の母語が何であっても、それを話すことに我々は敬意を払う。しかし私たちの共通の問題は、失業や貧困、そして不正義である」と演説した。またMHP党首は次のような質問をぶつけた。「少し考えてみて下さい。母語が憲法で保障されたからといって腹が膨れるでしょうか?母語による教育が可能になったからといって経済問題が解決されるでしょうか?手にするパンが増えるでしょうか?新しい服を着られるようになるでしょうか?」

デヴレト・バフチェリMHP党首は、ディヤルバクル駅前広場で「いかなるトルコ国民もこの国では黒人ではない。他者ではない。誰であれ自分の家で疎外されるようなことはあって欲しくない。ディヤルバクルの兄弟たちよ、あなた方は我々で、我々もあなた方なのです」と演説し、ディヤルバクル市民に次のように訴えた。「あなた方は共同経営者でも、株主でも、関係者でもない、この国の真の所有者のうちの一人である。あなた方一人一人はトルコ国民の、平等で立派でかけがえのない一員である。あなた方は我々の全てだ。いつも我々の心にいる。いつも話かけている。ワシントンにいる者たちは、私たちほどあなた方を愛せない。ブリュッセルにいる(EUの)者たちは、私ほどあなた方を理解できない。アルビールのペシュメルガ(クルド人民兵組織)たちも、私ほどあなた方のために尽力できない。」
バフチェリ党首の演説を要約すると次の通り。

分離(独立)を夢見る者たちにはよく考えてほしい:「トルコ国民からの分離を夢見る者たち、独立国家を熱望する者たちは、正気に戻らなければならない。我々には、与える小石もなければ、手放すことができる人間もいない。」

ズィヤ・ギョカルプ、タランジュ、スュレイマン・ナズィフの例:「ズィヤ・ギョカルプはディヤルバクルからこの祖国への贈り物である。我々の弱まることを知らない国家的昂揚も尽きることのない愛国心も、ギョカルプ氏の影響だ。ジャヒト・ストゥク・タランジュもディヤルバクルの出身である。占領期に愛国的な姿勢で、我々が正当に誇りとする、詩人であり作家であり政治家であった故スュレイマン・ナズィフも、ディヤルバクルからトルコ国民への贈り物だ。」

スィヴァス‐ガヴルダウ境界案を潰すために来た:「エルドアン首相が我々の間に蒔こうとしている反乱の種を腐らせるために私は来た。首相が厚かましくも線引きしたスィヴァス‐ガヴルダウ境界案を潰すために私は来た。我々に共通の価値観の精神を分かち合うために私はここにいる。千年間つづいた兄弟関係を支え、また永遠に生き長らえさせるために、私はあなた方の前にいる。」

我々の祈りは一つ。我々は同じ線の上にいる:「我々はパンを分け合い、水を分け合った。前線で共に戦った。共に笑い、共に泣いた。愛を分かち合ったが、人間を分けることはなかった。我々の祈りは一つ、願いも立場も一つになった。我々の名前は一つ、苦しみも一つ、記憶も一つになった。我々は共に成長しトルコ国民になった。トルコ実業家協会(TÜSİAD)やトルコ経済社会研究財団(TESEV)のレポートを作成した者たちは、そのことを真摯に捉えられていない。」

兄弟のごとく生きるか、アナトリアから追放されるか:「忘れないで下さい。我々はこの祖国において、統一された不可分の存在として兄弟のごとく生きていきます。それができなければ国民として、ディヤルバクルからだけではなく、(我々全てが)アナトリアから追われることになるでしょう。一方の側には我々みながいるのに、他方の側には国民を分裂させようという目論みがある。彼らは我々をバラバラにしたいと願っている。我々が兄弟喧嘩することを望んでいる。彼らは、我々が互いに腹を立て結束を解くのを待っている。我々の仲を裂こうとしている、我々が互いに足を引っ張り合うよう操作している。ここで述べる最後の言葉は、すでに1923年10月29日に述べられたものだ。『誰も思い描いてはならない、我々が、この歴史的誓いをあきらめるなどと。』」

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:篁 日向子 )
( 記事ID:22792 )