論説:アル=ジャズィーラ大物キャスターの退職とアラブ諸国の革命をめぐる考察
2011年04月29日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ ガッサーン・ビン・ジッドゥ氏とアル=ジャズィーラの間で:理解の試み

2011年4月29日付『クドゥス・アラビー』

【ラシード・シャリート】

筆者は先週、アラブ諸国の革命に関するアル=ジャズィーラ・チャンネルの報道について、「アル=ジャズィーラは革命に対する堅実な報道姿勢を失ったのか?」という問いを中心に言及した。アル=ジャズィーラが特定の革命を集中的に取り上げながら、他の革命については取り上げておらず、それは一般的に言えばメディアの使命に反し、特にアル=ジャズィーラにとってはこれまでの歩みに反するのではないか、という問題である。また、アル=ジャズィーラの名声を築き上げた数々の討論番組が突然放映を中止した謎についても、我々は提起を行った。しかしこれらの問いを整理し終える前に、今度はアル=ジャズィーラの内部から革命の激動が起こったのである!なかでも最大の動きは、ガッサーン・ビン・ジッドゥ氏の退職であろう。説得力のない退職だったとしても、アル=ジャズィーラが新たな曲がり角に来ていることを示すには十分な動きであった。

ガッサーン・ビン・ジッドゥ氏の退職が今ではなく別のタイミングで行われたならば、首肯し得るものとして受け入れられたことだろう。ビン・ジッドゥ氏の前にもユスリー・フォーダ氏、ハーフィズ・ミーラーズィー氏、フサイン・アブドゥルガニー氏といった錚々たる顔ぶれが退職し、さらにはジュマーナ・ナンムール氏、リーナ・ザフルッディーン氏、ジルナール・ムーサー氏、チュニジア人のナウファル・アフリー氏、シリア人のローナ・アッ=シブル氏といった華麗なる女性アナウンサーの一群が退職しているのだ。...

しかし、一連の討論番組が放映中止になり、アル=ジャズィーラというブランドを確立した顔ぶれが何人も排除されるいうことは、問題はもっと重大なのではないだろうか?ワッダーフ・ハンファル総局長はその理由について「アラブ諸国における革命の情勢が四六時中、次々に展開しているためだ」と答えたが、私にはそれが十分な理由だとは思えないし、そのような単純化した理由では誰一人として納得しないだろうと思う。それに、特定の革命について長々とした生中継が行われ、粗雑で冗長なコメントが流され、一方で他の革命については報道もされないといった状況がつづけば、視聴者は退屈してウンザリしてしまうことだろう。むしろハンファル氏の答えそのものが、アル=ジャズィーラが直面している真の行き詰まりの重大さを反映しているのだ。内部の分裂や外部からの介入が繰り返され、ついにアル=ジャズィーラは、アラブ世界の全域にわたって一箇所の例外もなく起こっている大革命を報道するための、明確な方針を見失っている。一部の国々は静けさに包まれているように見えるかも知れないが、それは嵐の前の静けさなのである。

ガッサーン・ビン・ジッドゥ氏のケースが、それを取り巻く環境から見ても彼自身の事情に関しても、稀有な事例であることは確かだ。彼は最も有能で、堅実で、プロ意識に優れたキャスターであり、アル=ジャズィーラのレバノン駐在の支局長を務めていた。宗派主義と抵抗運動のレバノンである。アラブ諸国や地域諸国が我が物顔に振る舞い、代理抗争が展開されるレバノンである。地政学的な複雑さや、報道に際しての微妙な問題、宗派の衣をまとった政治抗争、そればかりか同じ宗派の内部での抗争、そういった諸々すべてにも拘わらず、ビン・ジッドゥ氏は対立し合うレバノン国内のすべての勢力や近隣諸国と「ムアーウィヤの髪の毛一本」[※付かず離れずの関係]を保ちつづけた。彼自身ははっきりと、抵抗運動の潮流に共感を示していた。キャスターとて人間であり、感情や尊厳、矜持や自らの大義といったものを持っているし、何があろうとそれを捨て去ることはできない。

ガッサーン・ビン・ジッドゥ氏という人物は類まれなる報道人である。骨の髄まで抵抗運動の文化に浸っていながら、冷静を保ち自らを制御する恐るべき能力を持っている。この複雑きわまりない二面性は、宗派や政治の問題をめぐって内外の矛盾を抱え込むレバノンであればこそ成り立つものだろう。だからアッバース・ナースィル氏が反旗を翻してビン・ジッドゥ氏との間に対立が起きたとき、アル=ジャズィーラ・チャンネルは最大限ナースィル氏の慰撫に努めはしたものの、一瞬もためらうことなくビン・ジッドゥ氏の側に立った。

アル=ジャズィーラが大物キャスターを排除しようとしているのは報道機関としての大きな曲がり角だが、全くの逆効果をもたらすのではないだろうか。アル=ジャズィーラを退職したアナウンサーやキャスターがスターとして活躍することはないというのがメディアの黄金法則だが、それはアル=ジャズィーラの側についても同様であり、大物キャスターやディレクターを排除した場合、それによって生まれた空白を埋めることは困難なのだ!アル=ジャズィーラが有名なのは異なる意見に対する開かれた姿勢のゆえであるが、一連の人気番組ゆえでもある。アル=ジャズィーラが大物キャスターなしでもその先駆性を保つことができると思い込むのは、はじめから負けると決まった賭けのようなものだ。アル=ジャズィーラの王座が揺らぎ、気がついたときには後の祭りということになるかも知れぬ冒険行為だ!つまり、アル=ジャズィーラとその先駆性なくして大物キャスターたちの輝きはあり得なかったが、無名の状態から始めて瞬く間にメディアの偶像となった一群のキャスターたちなくしてアル=ジャズィーラが日の目を見ることはなかったのだ。さらには彼らが自らの技量を高める能力を発揮したことで、アラブ世界の視聴者は1996年から2010年までの間、あらゆる問題を忌憚なく論じて殆ど全ての人々を受け入れる、開放的な一連の対論番組に夢中になったのである。

ガッサーン・ビン・ジッドゥ氏が退職した理由の話に戻ろう。少なくとも表面化しているところでは、ビン・ジッドゥ氏はアル=ジャズィーラ・チャンネルが「従来のプロフェッショナリズムと客観的な報道姿勢を逸脱し、動員と煽動の作戦司令室と化した」との見解を示しているという。ビン・ジッドゥ氏が言うように、アル=ジャズィーラが実際にプロフェッショナリズムから逸脱したという見方には賛成しないわけでもないが、しかし彼が意図しているのは如何なるプロフェッショナリズムのことなのだろうか?解釈の余地は大いにあるし、退職のニュースを他に先駆けて独占報道したレバノンの日刊紙『アッ=サフィール』をはじめとする各紙やニュース・サイトで取り沙汰された表現からは、プロフェッショナリズムという言葉の意味するところについて、真相はほとんど定かではない。しかし、例のごとく情報源はニュース・サイトだが、ビン・ジッドゥ氏が「アル=ジャズィーラは動員と煽動の作戦司令室と化した」と付け加えたということならば、プロフェッショナリズムという言葉の意味はおのずと理解されるだろう。

そういうことならば、ビン・ジッドゥ氏自身にも多少の非があると言わざるを得ない。彼は専制と愚弄と腐敗への抵抗のシンボルの一人と言ってよい存在であり、奪われた尊厳や自由のために闘うよう煽動を行った交響楽団の一員である。彼の番組『開かれた対話』で彼自身の出身地である緑なすチュニジアの革命が取り上げられた後、最終回ではエジプトのムバーラク体制崩壊を受けてタハリール広場の革命についての公開討論が行われたことを見れば、そのことは十分明らかだろう。アル=ジャズィーラが煽動のための司令室と化したとするならば、それはガッサーン・ビン・ジッドゥ氏とその他の錚々たる顔ぶれのおかげなのだ!誓って言うが、これは嫌疑などではなく名誉の勲章である。アラブの腐敗した体制を打倒し、アラブ人市民と民衆の意思の前に展望を拓くことに貢献した者は皆、不朽の歴史的煽動を称える賞を授かる資格があるのだ。

アル=ジャズィーラの真の危機的状況は、「煽動」という使命に忠実であり続けようとせず、曖昧模糊の病に取りつかれ、羅針盤を失ったことの中にこそあるのだ!もしもビン・ジッドゥ氏が退職に際して「不徹底」、「多重基準」、「非常に曖昧模糊とした姿勢」、といった表現を用いていたならば、彼の退職にはもっと説得力があったことだろう!

しかし考察をめぐらすべき真の問いは、ガッサーン・ビン・ジッドゥ氏の退職の理由だけではない。問いを投げかけるべきことは、ビン・ジッドゥ氏自身が危機的状況の一部なのか、それとも彼の行動はアル=ジャズィーラの危機的状況を物語っているに過ぎないのか、ということだ。いずれの場合にも危機的状況は退職という事実をめぐって顕在化しているわけだが、アル=ジャズィーラが煽動と動員の作戦司令室と化したという言葉を受け入れるとすれば、ビン・ジッドゥ氏はその抜きん出た仕事ぶりによって司令室の支柱的存在の一人だったのであり、つまり彼は危機的状況の一部だということになる。一方、アル=ジャズィーラがプロとしての使命を果たす道から外れたという見方をとるならば、ビン・ジッドゥ氏の退職は危機的状況を物語る出来事だということになる。

我々はアル=ジャズィーラの二線級の視聴者、或いは元視聴者と言うべきかも知れないが、そのようなものとしてであっても、同局には否定すべからざる恩恵を蒙っており、アル=ジャズィーラに親しみを抱いている。しかし、問題ははるかに重大で深刻だと考えている。それはアラブ世界における大きな政治的変化や、各国におけるメディアの自由化によって、チュニジアやエジプトのようにかつての政治的腐敗の時代が終焉し、その他の国々においても同様の展開が期待されているという、現状のコンテクストと絡み合った問題なのだ。

つまり、アラブの国々が解放されれば解放されるほど、アラブ各国の自足性が生まれ、アル=ジャズィーラの活躍する余地は狭まるということだ。新生エジプトのメディアで政治、社会、思想といった全ての側面にわたる議論の扉が開け放たれたことを見るといい。エジプトやチュニジアの市民が今後、自国の国営チャンネルや民営チャンネルをなげうってアル=ジャズィーラや、或いはエジプトの類似の衛星チャンネルに目を向けるだろうとは、私は思わない。さらにはアル=ジャズィーラで働いていた多数の有能なスタッフたちが、豊富な経験と相当額の資金をたずさえて出身国に帰ってくることだろう。枷は解き放たれ、堰は切られたのだ。もはや地元のジャーナリストが国外に移住する必要も、視聴者が国外のメディアに依存する必要もない。革命後の動向は、チュニジアやエジプトやその他のアラブ諸国の市民にとって最大の関心事なのだ。

アル=ジャズィーラが傘下の調査・研修機関を通じて提起すべき正しい問いは、アラブ世界のメディア(或いはその大部分)が自由化された後、アル=ジャズィーラの位置づけはどうなるのか、という問いである。アル=ジャズィーラがこの問いを提起することはないだろう。それはまさしく恐るべき悪夢だからだ。米欧のメディアから「アル=ジャズィーラはチュニジアとエジプトにおける革命成就の支柱の一つだった」という誇張された賛辞を浴びて、アル=ジャズィーラは自己陶酔に陥っていた。

アル=ジャズィーラが革命成就に役割を果たしたことに疑いの余地はなく、それが称えるべき努力の賜物であったことは確かだ。しかしその後、突如として方程式が変わり、アル=ジャズィーラは息つく暇もなくなってしまった。特に民衆の革命が湾岸地域の近隣諸国に飛び火したとき、カタール国に政治的なシワ寄せが来ることを覚悟して報道に臨むか、特定の革命を集中的に取り上げて他の革命は取り上げないという方針をとるか、アル=ジャズィーラは途方に暮れた。結局後者を選んだことは、報道機関としての大きな誤りであった。視聴者や応援者はアル=ジャズィーラのプロフェッショナリズムをめぐって分裂し、ついに革命はアラブ諸国の街頭からアル=ジャズィーラの社内にまで飛び火した。御覧の通り、ビン・ジッドゥ氏が退職してから、まだ殆ど時は経っていないのだ!

Tweet
シェア


原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:森晋太郎 )
( 記事ID:22802 )