Hasan Cemalコラム:エルドアン首相のディヤルバクル集会演説
2011年06月03日付 Milliyet 紙
この記事を書くために、昨日午後遅い時間までディヤルバクルで行われたタイイプ・エルドアン首相の集会演説が終わるのを待った。
しかし、大勢の人が集まり、熱狂的なこの集会を待たずとも、この記事を書くことはできたはずだった。というのも、公正発展党(AKP)幹部が話す内容を予想するのは、それほど困難なことではなかったからだ。
平和民主党(BDP)を締め出し、クルド労働者党(PKK)やオジャラン(Apo)に雷を落とし、共和人民党(CHP)やクルチダルオール党首を厳しく批判し、民族主義者行動党(MHP)を標的にすることは予想できていた。エルドアン首相は、これらすべてを実行した。極めて重く、厳しい言葉で、批判した。AKP幹部が駅前広場の演説で使用した言葉は、おだやかな言葉ではなかった。
確かに、正しいことを述べ、真実を指摘する部分もあった。政府がクルド問題に関して2000年代に行った適切な前進を強調した。しかし、エルドアン首相が今まで時々示してきた言葉や声明が、クルド問題において「平和的解決策」を示したと強調するのは簡単ではなかった。
私が言いたいのはこのことだ。
BDPをここまで攻撃し、オジャランやPKKに対しこのように鋭く、厳しい手法を使うことは、東南部での問題の平和的解決には繋がらない。クルド問題との関係を暴力で断ち切ることもできない。あるいは、クルチダルオールのCHPとの全ての接点を破壊するような方法でクルド問題は解決しない!
あるいは、クルドのアイデンティティー問題をいくつかの小さなごまかしでやり過ごしながら、行政サービスを全面に出す単独での解決策も、2009年地方選挙でもそうであったように、もはやAKPの票を増やすことには繋がらない。
これら全てのことは、エルドアン首相のディヤルバクルでの演説を聞かなくても書くことができた。
簡単に言うと、新しいことは何も言わなかったのだ。
エルドアン首相は、ディヤルバクルでの演説で我々を驚かせるようなことはしなかった。
実は私も、そもそもそれを期待してはいなかった。
首相は、以前のディヤルバクルで行われた演説と比べると、より「後ろ向きな」ラインで話をした。
しかし、宗教的要素は強かった。ここから分かるのは、エルドアン首相が、東南部の超保守派の有権者の票を集めいと持っているということだ。
もうこれらのことはいいだろう。6月12日の選挙の後のことを考えよう。
選挙後という観点から、ディヤルバクル駅前広場での演説でエルドアン首相のある言葉に注目した。新憲法の期限を話す際に、以下のように述べた。
「新憲法を、みんなで一緒に、歩みよりながら制定する」
歩み寄り!
これが不思議な言葉である。
もし、新憲法が制定されるのであれば、エルドアン首相やAKPは、自分たちだけではできない。「歩み寄り」以外の方法はない。
CHPと歩み寄り…
BDPと歩み寄り…
新憲法が制定されるのであれば、タイイプ・エルドアン首相は、これらの政党と対話し、妥結の扉を開くであろう。
エルドアン首相が、このように、クルド問題における暴力や武器の時代を終わらせることを望んでいるのであれば、他の方法はない。
トルコにおいて、平和への道が開かれるためには、6月12日以降にタイイプ・エルドアン、ケマル・クルチダルオール、アフメト・チュルクの間での対話と歩み寄りの土台が築かれなければならない…
選挙期間に起こっていることが、選挙後も続いてはいけない。
AKPとCHPやBDPが、選挙期間には、政権のために最も激しく競争する。時には、今までなかったような言葉を互いに言い合うことがあるが、敵対はしない。
というのは、対話や歩み寄りなしに、民主化や独立はありえないからである。
最近、選挙活動での悪夢のような空気、異常で高い緊張感が、6月12日以降も政界で蔓延するとは思わないし、思えない。
あるいは、そのような馬鹿げたことを考えたくもない。
政治指導者たちがそれほど良識がないとは、思いたくない。
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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:22838 )