一つの時代が終わった・・・ウルファ「部族」4無所属候補、いずれも落選
2011年06月13日付 Milliyet 紙
シャンルウルファで、その意向により選挙結果に影響を及ぼすという特徴で目立った存在である「部族」は、無所属候補者として出馬した選挙で失意の結果となった。町の最も強力な部族であるブジャック、イゾルとシェイハンルの代表が、国会議員選挙で大きな痛手を負う一方で、シャンルウルファの人々は選挙結果について、「敗れたのは部族だ」と口々に述べた。
中間結果によると、公正発展党(AKP)の10人、平和民主党(BDP)が支持した無所属の2人の候補者が勝利したシャンルウルファで、議会入りを計画し、無所属として争った有力な部族長は、選挙結果判明後、言葉を失った。
■イゾル氏失望
AKPの議員候補リストから外された結果、選挙に無所属候補者として立候補したズルフィキャル・イゾル氏は予想よりだいぶ少ない得票数であった。イゾル部族の一部メンバーがAKPを支持する中、イゾル部族リーダーの一人であるズフィキャル・イゾルは、15,865票を獲得した。同氏はシヴェレクで5,100票を獲得した一方で、ハランではたったの30票であった。
■ブジャック・ウムドゥ氏落選
公正党の系統に属し、シヴェレクで影響力を持つブジャック「部族」候補者もこの選挙で無所属出馬をはたした。ススルルック事故の重要関係者であり、正道党元国会議員であるブジャック部族出身のセダット・エディップ・ブジャック氏は選挙に出馬せず、部族を代表して弟のアフメト・エルシン・ブジャック氏が候補となった。ザザ出身のブジャック部族の長のひとりである同氏は、部族の推薦を受けて出馬し、28,795票を獲得できた。ブジャック氏は、予想より少ない得票数で落選し、影響力のあるシヴェレクから19,328票を獲得したが、最小得票数はハランの30票であった。
■シェイハンル部族の2人の候補者も落胆
シャンルウルファの有力部族の一つでクルドとアラブ起源の何千ものメンバーを擁すシェイハンル部族の二大代表であるマフムト・ジェヴヘリ氏とゼイネル・ファーティフ・シュハンルオール氏も、無所属候補として出馬した選挙で落選した。マフムト・ジェヴヘリ氏は、2002年無所属で国会議員となった後に公正発展党に入党し、昨年辞任した後に再度無所属で立候補したサバハッティン・ジェヴヘリ氏の弟である。同氏が6,109票を獲得した一方で、2001年トルコ大国民議会(TBMM)で起きた殴り合いにおいて心臓発作で亡くなったフェヴズィ・スハンルオール氏の甥であるゼイネル・ファーティフ・シュハンルオール氏は6,834の票を獲得した。
■10人に宛てたミーティングを開催したが、票は916票
平和民主党(BDP)の推薦を受けた2名の候補を含む計10人の無所属候補者が争ったシャンルウルファで、選挙の結果は、部族関係者以外にも非情なものとなった。10名の候補のため開催したミーティングで唄った民謡により選挙期間中、注目候補となっていたリュトゥフ・ドール氏の得票数は916票であった。無所属候補者として参戦した候補者の一人マフムト・ユルマズ氏には2,376票、メフメト・ダイラン氏には1956票であり、最小得票数は761票のオメル・ウチャル氏であった。
■服役中の候補者に75,000票
2007年の選挙において僅差で負け、トルコ大国民議会を去り、9か月前クルディスタン社会連合トルコ議会(KCK/TM)裁判の容疑者として逮捕されたイブラヒム・アイハン氏は、今回の選挙でBDPの推薦のもと75,058票を獲得し、勝利を収めた。イブラヒム・アイハン氏が記録的票数で国会への路が開かれた一方で、BDPが支持した他の候補者であるイブラヒム・ビニジ氏は、44,263票で辛うじて選ばれ、2期当選の喜びをかみしめた。
■共和人民党(CHP)と民主主義者行動党(MHP)はシャンルウルファで存在感なし
シャンルウルファで6月12日行われた選挙で強気でいた共和人民党(CHP)と民主主義者行動党(MHP)は選挙結果を受け、最も残念な2つの政党となった。共和人民党に21,712票、民主主義者行動党には22,315票であった。シャンルウルファでの最小得票数であった政党は426票で、国民党であった。
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( 翻訳者:池田峻也 )
( 記事ID:22877 )