聴取でケナン・エヴレンの私生活が明らかに―「現在の月収は12500リラです。」―
2011年06月19日付 Hurriyet 紙
ケナン・エヴレン第7代大統領は(1980年)9月12日クーデターの取り調べの一環でヒュセイン・ギョリュシェン共和国検察官の事情聴取に応じ、当時の政治的状況とともに、現在の私生活に関する質問にも答えた。
エヴレン元大統領は体調の不調を理由に自宅でギョリュシェン検察官への事情聴取に応じた。傍らにはハイダル・カヌジュオール、オメル・ニハト・オズギュン両弁護士も同席し、事情聴取を始める前に、検察官がエヴレン氏に対し法的な権利を説明し、記録を残させた。エヴレン氏が、弁護士会から弁護士の派遣を望まないと述べたことに対しギョリュシェン検察官は、「容疑を晴らすため明確な証拠の収集を望むことができること、自分に対してかけられた容疑の理由を取り除き、自分に有利な事柄を主張する機会があること」を告げた。聴取の際、エヴレン氏のために10分の服薬休憩と32分の食事休憩が与えられた。結婚歴を問われると、エヴレン氏は検察官に「寡夫」であると述べた。職業を問われると、「元大統領で、月収は約12500リラ」と答えた。個人情報についてエヴレン氏は、誕生日を1334(1917)年1月1日と記録させた。
■カヤジャン・アパートに居住
エヴレン氏は検察官の「後悔していますか」との問いに、「全く後悔していない。1980年9月12日以前のトルコの状況が現在目の前に現れたとしても、まだ鳥肌が立つ。以前この国の首相であったニハト・エリムは、名は思い出せないがある退役将官と退役海軍中将ケマル・カヤジャンを死亡させ、事件は次第にエスカレートしていった。加害者らは逮捕されなかった」と答えた。
しかしエヴレン氏がクーデターの理由として説明したカヤジャン暗殺は1980年より後、1992年7月29日に起こった。元海軍司令官であるカヤジャン氏はクーデターの12年後に殺害された。エヴレン氏の聴取記録にある住所はこの意味で注意を引くものである。エヴレン氏は中央軍人会館のそばのガード付宿舎であるケマル・カヤジャン・アパートに住んでいる。
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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:22950 )