Taha Akyol コラム:今後、BDPは何をするのか?
2011年06月14日付 Milliyet 紙
南東アナトリアでの各党の得票率の変化(上から、AKP、BDP、その他)
2011年選挙において最も成功を収めた2つの政党は間違いなくAKPとBDPである。BDPは36議席を勝ち取った。これらの議員の中には社会主義者もいれば右派もいる。これらの議員たちがBDPの特色をもたらすことが期待されている;現行の一枚岩の全体主義的構造を多元共存化することだ…。
彼らがこの力を示すことができれば…。私はこの件については残念ながら楽観的ではない。なぜなら、全体主義者らは運動の多様化を認めないものだからだ。
BDPの人々が選挙結果を祝うのは当然の権利だが、その祝いの場は、残念なことに多くの場所で攻撃へと変わってしまった。彼らはAKPの建物とトゥンジェリにあるCHPの建物を破壊した。
これらは多元共存主義に反対する全体主義の不寛容さを示す集団的データである。
BDP党員の無所属候補者たちはこれらの攻撃を「やめろ」と言わなかったし、ましてや激しく非難もしなかった!
全体主義的な運動によって、交渉、和解そして憲法制定はどうなるのだろう。これは政治科学の最大の議題であり、トルコの憲法制定が直面する最大の問題である。
■BDPは、南東アナトリアで唯一の政党か?
BDPは最新の選挙において7県で第一党となった:バトマン、ディヤルバクル、ハッキャーリ、マルディン、ムシュ、スルナクそしてヴァンである。これら7県における計250万近い有効票のうち52%をBDPが手にした。
言い換えれば、これら7県においてでさえ投票者の約半数はBDPに投票しなかったのだ!
AKPがこれらの県で得た票は30%である。残りの18%を他の政党が分けあった。
それでは南東アナトリア全体における主な票の傾向を見てみよう。
同じ運動をしてきた政党であるため、異なる選挙年においてもクルド系の政党名はすべてBDPと表記した。また、表を単純化するために中東部アナトリアと北東部アナトリアは入れていない。中東部、北東部アナトリアにおいては、AKPの得票率は55%に達しており、BDPの得票率は17%に過ぎなかった。
つまり、BDPの政治家がクルド運動を代表しているとはいえ、クルド人の集中する地域全体としてみるとBDPの票は全体の4分の1から3分の1の間なのである!
BDPが第一党となった7県でさえ有権者の半数は投票しなかった。ディヤルバクルではBDPが46万票、AKPが24万5千票獲得した。
政府と交渉しているとされるオジャランと、国会のプロセスに加わるBDP系国会議員たちは、地域におけるこの多元共存の実態を認め、受け入れなくてはならない;その時、問題解決は容易となるのだ。
■「民主主義的自治区」と民主主義
憲法討議において解決策を生み出す前提条件は、民主主義的思考を持つことであり、その時、和解がなされ、合理的な解決策が生み出されうるのだ。しかし、傲慢な全体主義的思考を持って運動がなされると、これは民主主義的憲法制定を妨げ、地域における多元共存の実態に対する脅威を作り出すこととなる。
政府と交渉しているオジャランは、この地方の多元共存を認めずにに解決の支援をすることはできない。オジャランの「民主主義的自治区」要求は、欧州自治憲章における「地方行政」モデルとは違うのだ!オジャランのものは地方行政モデルではなく、全体主義的な民族主義モデルなのである。
民主主義国家において、全体主義的モデルを国民の多くに受け入れさせることはできない。これを目指すことは新憲法の制定を怠業することである!また、この全体主義的モデルを多元共存構造をもつ地域に受け入れさせることもできない。歴史上の例が示すように、この種の主張は多くの難民と衝突の道を開くこととなる。実際、すべての人に大きな被害をもたらす民族紛争は、不可能な民族主義的計画が主張されることから生じたのだ。この手の主張をするべきではない。
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( 翻訳者:吉澤旅人 )
( 記事ID:22989 )