Murat Yetkinコラム:トルコの経済成長とAKP
2011年07月01日付 Radikal 紙

この10年間、AKP(公正発展党)の集めた票数の上下は、経済の発展と収縮に対応している。

タイイプ・エルドアン首相は昨日、AKP国会議員の会派と党執行部に向けて話し、トルコが2011年最初の四半期、世界経済の中で最も急成長したこと(11%)を当然のこととして高く評価した。

隣国ギリシャではヨルゴ・パパンドレウ首相が国家を破綻から守るために、嫌気の差すような緊縮財政を国民に強いざるを得ないこの時期に、こうした成果を上げたことはより意味深い。

経済分野でのこの結果は、6月12日の総選挙でAKPが50%の得票率を得たこととどれほど関係があるのだろうか?この選挙の結果は経済の、―消費、生産に焦点を当てた輸入、アラブ諸国やギリシャの状況によるトルコの観光業の業績上昇からくる―発展が影響したのか?

過去に関する簡単な分析は、これらの質問に「イエス」と答える。

AKPが初めて政権についた2002年の選挙は、2001年初頭に起きた最も深刻な経済危機の後に行われた。有権者はひどく憤慨しており、経済危機が起きた時、政権についていたDSP(民主左派党)-MHP(民族主義者行動党)-ANAP(祖国党)の連立与党はいずれも10%の投票率を得られず議席を持てなかった。国会で二番目に議席の多い党は、有権者により前回の選挙で罰せられ追放されたCHP(共和人民党)であった。

エルドアン首相は、ケマル・デルビシュ氏が始めたIMF(国際通貨基金)の援助を含む経済改革計画を引き継ぎ、そのトップに経験はないが博識で決断力のあるアリ・ババジャン氏を登用し適切な仕事を遂行した。経済は、一方でデルビシュ氏の計画の継承、一方でCHPとの協力で国会が承認したEU(欧州連合)加盟のための改革政策がもたらした投資環境、そしてまた連立政権の足並みが揃わないため何十年も膠着していた保健と輸送の問題への対策を受けて発展した。
さらに軍が大統領選挙の際彼らに贈ったイデオロギー論争も加わり、AKPは2007年の選挙で約47%の投票率を得て野党を驚愕させたのである。

おそらくこの結果がエルドアン首相に自信を与え、ババジャン氏を、2007年大統領に選出されたアブドゥッラー・ギュルの後任に据え、外相に登用した。ババジャン氏はそこでも善戦したが、しかしその後、トルコは2008年の世界経済危機に対し、適切に対処できず、不調和な経済政策に陥った。トルコは、世界で最も急激に経済不振が起きた国の一つ(14%)になった。
AKPは2009年の地方選挙で得票率を39%に下げた。エルドアン首相は、2009年の選挙後、ババジャン氏を外相から解任し、経済全体に発言権を持つ首相補佐に昇進させた。財務省では、ケマル・ウナクタン氏の後任にババジャン氏と関係の良いメフメト・シムシェキ氏を任命した。結果、中央銀行が貸付を控えるための冷却措置を適用せざるを得ないほどの急激な成長率が得られた。

この成長期を捉えて行われた選挙で、エルドアン首相は夢のような50%に近づいた。このこの50パーセントの中に、AKPの政治的、イデオロギー的手法には賛同していなくとも、経済の進展が損なわれないようにと投票した人々がいたのなら、選挙結果において、ババジャン氏が舵取りする経済政策の恩恵があることは事実であると考えて良いだろう。

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( 翻訳者:大久保はるか )
( 記事ID:23110 )