平和民主党(BDP)イスタンブル選出国会議員のトゥンジェル氏は、1996年にトゥンジェリで8人の兵士が殉死した最初の自爆テロを遂行した、爆弾自殺決行者の追悼セレモニーに参加した。トゥンジェル氏は「彼女の闘争は私たちの闘争そのものである」と述べた。
1996年、PKK(クルディスタン労働者党、非合法組織)テロリスト、ゼイネプ・クナジュがトゥンジェリ市の中心地で、兵士らが国旗を掲揚する中、体に巻きつけた爆弾を爆発させて8名の兵士を殉死させ、29名の兵士に怪我を負わせたという事件が起きたが、BDPのイスタンブル選出議員セバハト・トゥンジェル氏がこの追悼セレモニーに参加した。この自爆者を賞賛し、「殉教者」と呼称したトゥンジェル氏は、「彼女の闘争は私たち自身の闘争として見なければならない。今日安らかな政治を行えているのは、30年間で命を失った1万8千人のゲリラに借りがあってのことです」と発言した。ディヤルバクル県の中心地、スル市ハスルル地区の自由市民協会の前で、「ズィラン」というコードネームで活動していたPKKメンバーのゼイネプ・クナジュの追悼会がディヤルバクル女性議会により催された。イスタンブルから無所属で当選した後にBDPに入党したセバハト・トゥンジェリ国会議員もこれに参加した。舞台の裏には、1996年6月30日にトゥンジェリ共和国広場で軍人が国旗掲揚の儀を行う中、マタニティドレスに身を包みその体に巻きつけた爆弾を爆破させて8人の兵士を殉職させ、29人の兵士に怪我を負わせたPKKのゼイネプ・クナジュと、これまでの武装衝突で命を失ったPKKの女性メンバーの写真が展示された。
■彼女たちへの借り
流血行為から15周年に催されたセレモニーで演壇に登り演説したトゥンジェル氏は、PKKのゼイネプ・クナジュがクルド人と女性の自由を求める運動において重要な人物の一人であることを主張した。トゥンジェル氏はクナジュについて「殉教者」と述べ、「同志ズィランが体に爆弾を巻いて爆死したのは体制に対する反抗からだけでない、彼女は同時に男性優位の体制に対して、女性闘争の重要な突破口を開いたのです。ズィランだけでなく、クルド人の自由闘争の歴史を思い返してみたとき、何千もの殉教者がいます。1万8千人のゲリラがこの30年に及ぶ闘争で命を落としました。この中にも数千もの女同志がいたのです。私たちが今日安らかな政治を行い、これほど自由に発言できるのは、これらの闘争と殉教していった友人たちのおかげです。30年で非常に大きな苦労と代償が払われました」と発言した。
■模範として示した
セバハト・トゥンジェル氏はテロリストであったクナジュをその行為から賞賛し、「私たち女性は、自分自身を愛することを始め、お互いを愛したその時に、この男性の支配階級に対しより強くなり、発言権を持つことが出来るようになるでしょう。そして、私たちが殉教者の方々を思い出すとき、ただ彼らの前で敬意を持って頭を下げるのではなく、彼らの生き方の理想を、自分たちの理想としてみなければなりません」と表現した。
■国旗掲揚の儀が血で汚された
トゥンジェリで毎週国旗掲揚の儀を催していた軍は、1996年6月30日の日曜日にも共和国広場で同じ儀式を行っていた。独立行進曲が歌われた後、18時半ごろに儀式を見ていた人々の中から、妊娠しているように見えた女性がクルド語で叫びながら兵士たちの中にまっすぐ飛び込んだ。そのとき、彼女は身に着けていたTNT(トリニトロトルエン)爆弾を爆発させた。辺りは地の池と化した。最初に下士官のオンデル・ヤームル、ジャーフェル・アクンと兵卒のアフメト・ヤイマン、イブラヒム・セヴェル、ジェラル・ハトゥル、ユスフ・ユルドゥルムが殉死した。32人の兵士が負傷し、多くは重症となった。ヘリコプターでエラズー県に運ばれた兵士のうち3人が助からなかった。この襲撃はトルコのテロの歴史の中で最初の爆弾自殺事件となった。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:奥 真裕 )
( 記事ID:23124 )