Derya Sazakコラム:トルコ・イスラム統合論の人―ジェミル・チチェキ新議長
2011年07月04日付 Milliyet 紙
トルコ大国民議会議長にジェミル・チチェキ氏が選ばれた。チチェキ氏は、公正発展党(AKP)政権の「変わらない」顔ぶれの一人である。チチェキ氏は同党で「トルコ・イスラム統合論」を唱えている。1980年以前は民族主義者行動党(MHP)と近しかったが、9月12日クーデターの後(トゥルグト・)オザルの祖国党に入った。(先頃亡くなった)エルバカン氏に対しエルドアン現首相とギュル現大統領が反旗を翻しAKPを結成した際にも積極的な役割を果たした。同党の「民族主義的保守」層や「国家」と決定的な繋がりを持つ面々の代表的存在であった。
6月12日選挙のあと国会で起きた「宣誓ボイコット」後の事態の急展開でジェミル・チチェキ氏が議長候補者となり、昨日MHPのトゥンジャ・トスカイ氏と争った末に議長に選ばれたことは、アンカラの政治を見るに「サプライズ」ではなかった。
共和人民党(CHP)と平和民主党(BDP)が投票に参加しなくても、AKPからの得票によってチチェキ氏が国会議長に選出されるであろうことは分かっていた。本当のサプライズは、エルドアン首相が国会で行なったスピーチであった。
AKP党首は、(訪問先の)スィマヴで宣誓式を欠席した野党議員に関し「吐いたものを飲み込む(前言を撤回する)」はめになると言い、CHPとBDPを追い詰める姿勢を示した。しかしMHPに対しては「花(チチェキ)を捧げる」のを忘れなかった。エルドアン首相は、「MHPと合意に至れば、選挙の際(AKPが)憲法に関して述べた公約を実現できるだろう」と述べた。
この発言は、大統領選出の問題を抱えたまま召集された2007年の国会を思い起こさせる。MHPが国会入りするや、ギュル氏のチャンカヤ(大統領官邸)への道が開けた。その後、AKPとMHPは手を取り合って、「スカーフ問題」の解決に向けた憲法改正へと踏み切ったのだった。しかしこうしたやり方は、「良い結果」を生まなかった。憲法改正は憲法裁判所に否決された。その経過を見て検事長は行動を起こし、AKPは解党寸前のところで救われた。
スカーフ(解禁)への試みは、エルグン・オズブドゥン教授が作成を任された包括的な憲法草案をめぐる議論にも影を落とした。こうした経緯の中、CHPとBDPが国会に参加しようとしないからといって、AKPが MHPの援助のもとで憲法改正を実行することは有り得るだろうか?
トルコは文民の手による民主的・自由主義的な新しい憲法を必要としている。6月12日選挙に参加した全ての党がその必要性を説いた。新憲法は、9月12日クーデターの軍事政権が作成した1982年憲法を排除することなく、「平等な市民権」、「母語教育」、「地方自治」といった枠組みでクルド問題を解決しようとしている。このような憲法は、CHPとBDPの「参加」なしには生まれまい!
タイイプ氏(エルドアン首相)は「挑戦」が好きな指導者だが、彼が「単独で」進めた改革は社会の約半分から支持されていない。6月12日にAKPは50%の得票を得たが、憲法改正を単独で国民投票に持ち込める330議席には届かなかった。その不足分をMHPで補おうとしているのだとしても、クルド問題を解決できる憲法はこの連立からは生まれない。
なぜならAKP‐MHP連立とは詰まるところ「トルコ・イスラム統合論」だからだ。9月12日憲法もこの「イデオロギー」の上に作られた。同じ道を行くのなら、新しいものなんて必要ないではないか!
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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:23145 )