Mehmet Şekerコラム:安全な港、トルコ
2011年06月21日付 Yeni Safak 紙

シリアでの圧制から逃れる人々は、助かるためにトルコに避難している。避難者数は、今日現在の推定で1万人を超えた。トルコは難民の流入に対して門戸を開き、彼らの求めに応じ、多大な称賛を得た。このような状況は初めてでない。トルコは、以前にも何度も避難先国として、難民を受け入れてきた。

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まあ、世界地図を開いてください。
左上のアラスカから、右角のニュージーランドへ伸びる線を引いてください。
頭の中で想像するか、あるいはペンで。
もう一本の線を左下の角、南アメリカのチリの先端から、右上の角シベリアまで伸ばしてください。その2本の線が交わる点に、トルコがあるでしょう。
スペインからの難民も、ここへ来られる。中国からの難民も。
南北は関係なく、遠い隣人、近い隣人の区別もない。
人助けの好きな我が国は、問題を抱えてやってくる人々に、いつでもパンを分ける準備ができている。

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しかし難民の問題は、すいすいとは進まないこともある。
何年も前、出身地クリミアから離れなければいけなくなったヂェンギズ・ダージュ氏は、ロンドンに行った際、頭には一つの目的地があった:トルコ。

「生命が危険にさらされた時、私の祖先は「神の地Hak (ak) toprak」に逃げ場を求めました。故郷グルズフとクズルタシュが私の居場所であるように、「神の地」も私の場所となるはずでした。そう、トルコへ行くはずでした」と作家は説明する。

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ロンドンに着いたばかりのころ、異国の人々になじめないでいるとき、トルコ領事館を見つけだしだ。相手に自分の言語で感情や考えを説明するという興奮の中にいた。しかし領事館で役人が尋ねた質問は、まったく予期しない種の質問だった。
「トルコに住むご親戚はいますか?」

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「一瞬ショックを受けました。私の知っている限り、私にとってトルコ全体が親戚でしたから。」
それから考えてみたが、名前を挙げられる人はいなかった。役人は説明した。
「もしトルコに親戚がいれば、その人に手紙を書いてください。彼らがあなたをトルコに招待してはじめて、あなたはトルコに行くことができます。」

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ヂェンギズ・ダージュ氏は、その回想録で、その時の感情をひとつひとつ丁寧に読者に伝えている。「なにをいうことができただろうか?人生で一番つらく厳しいときにも、心の隅で保っていた希望が消えたように感じました。うなだれ、沈んだ心でトルコ領事館を後にしました。」

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その日は憤慨した…。「しかし、私ヂェンギズ・ダージュがトルコに対し憤慨したという意味ではありません。私の側からは、そんなことはなかったし、ありえなかった」という。
全作品をアナトリアのトルコ語で書き、トルコで出版している。そして、いつも次のように考える。
「トルコ大統領がどれほどトルコ人であるにせよ、私も彼ほどにトルコ人です。」

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第二次世界大戦中に捕虜となったことも含め、多様な苦しみを経験した人生を通じ、作家ヂェンギズ・ダージュ氏は、どれも素晴らしい作品をトルコ語で残した。
きっとシリアからやってきた同胞のうちからも、偉大な小説家が誕生するかもしれない。もしくは偉大な科学者が…。

しかしトルコは、その中から偉大な人物が誕生するかもしれないということで難民を受け入れているわけではない。このことは、誤解のないように書いておこう。

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( 翻訳者:吉岡春菜 )
( 記事ID:23209 )