民主社会会議(DTK)は、ディヤルバクルで「民主的自治」を宣言した。宣言文を読みあげたのはアイセル・トゥールク氏。自治宣言がなされた日付(7月14日)が注目をひいた。
民主社会会議(DTK)の会合で採決された宣言文を読み上げた同会議共同代表のアイセル・トゥールク氏は、「民主的自治」宣言について、「国際人権規約の定義する諸権利に照らし合わせ、共通の祖国という理解に基づく領土保全および民主的国民という視点に基づいて、諸集団(民族)からなるトルコ国民としての一体性を固守しつつ、クルド人として、『民主的自治』を宣言します」といった形で告げた。
国際社会にも訴えかけたトゥールク氏は、国際法にも明記されているこの権利を基本としながらクルド人が宣言した「民主的自治」が認知されることを望んだ。会合は平和民主党(BDP)のディヤルバクル県支部ビルにあるヴェダト・アイドゥン会議場で行われ、民主社会会議(DTK)のアフメト・トゥルク共同代表とアイセル・トゥールク共同代表、BDPの共同党首、全てのBDP党派の国会議員たち、地方自治体の長たち、市民団体、女性と青年の代表者たち、知識人、作家、新聞記者、オピニオン・リーダーたち、そして市民代表といった850人が参加し、民主的自治の宣言を起立して拍手でむかえた。6時間続いた会合の後、トゥールクは準備していた宣言文を読みあげた。
■クルド人根絶がターゲットとされていた
トゥールク氏は、トルコ(共和国)の建国に大きな役割を果たした最初の議会と、1921年の憲法に基づいてつくられたトルコ共和国の建国理念と政治においては、クルド人は否定されておらず、クルド人と共につくった新しいトルコ共和国の存在が記されていたと述べ、言葉を以下のように続けた。「トルコ共和国建国の政治と理念は、クルド人の観点からも、クルド人としてのアイデンティティと存在をもってその中に内包されるという理解に基づくものであります。しかし、国際社会でのトルコ共和国(存在)の正当性の基盤であるローザンヌ条約と、その後つくられた1924年憲法によって、クルド人がトルコ主義(トルコ人性)の中に溶解する国民国家、といったものに依拠した否定と破壊の政策が、(国家存在の)正当性のための手段となってきたのです。
コチュギリ、シェイフ・サイート、アール、デルスィムといった反乱(いずれもクルド人の反乱)を引き起こしたのも、この国民国家政策なのです。その後、これら諸反乱を口実として、クルド人に対して人類史上、最も容赦ない根絶政策が行われたのです。国際的な大国の支持を取り付けながら、実際的な大虐殺を含めて、完全にクルド人を根絶することを狙った危険な計画が無慈悲にも実施されたのです。最後の1938年のデルスィムの大虐殺によって、それまでそこにあった自治的関係が、クルドの人々の否定と破壊にとってかわられたのだ。
■新たなる否定の現実
トルコが、クルド人に対して支配を及ぼす他の国々とともにクルド人の民族としての存在を抹殺するために結んだ同盟も、この政策がしっかりと継続されるのを確実なものとしてきた。国民国家というものは、その(中に含まれる)さまざまな成員および異なった文化という点からは、いかに(異なる成員や文化を)抹殺するものとしての性格を持っているかということを、クルド人に対して支配を及ぼすこの諸国家の政策において、とてもわかりやすい形で見ることが可能である。日々において、形に違いがあるとしても、実質的に続いているクルド人否定とこれに関連して行われてきた(民族)浄化の政策が続けられているのです。クルド人の存在を認知していると言及するも、クルド人としての権利は無視され、正当で合法的代表者とはみなされず、そして押しつぶそうとする政策が実施されているのである。かつての状況は克服されつつあるように見せかけているとしても、新たなる否定の現実が作られようとしていることは、クルド人の目には、もはや議論の余地のないものである。
■われらクルド人の(民族)浄化が望まれている
さてクルディスタン社会連合(KCK)裁判の名のもとに、クルド人政治家に対して行われた政治的ジェノサイド作戦の結果、何千人もの人々が逮捕され、人質として捕えられています。不当に、何年間も、刑務所に捕えられています。クルド語という母語にたいして、文化的なジェノサイドが続いています。上述したように、クルド人として当然の、そしてクルド人であることから生ずる諸権利、土地、言葉、文化、アイデンティティ、生活が無視されており、(民族)浄化が望まれている。
もうやめましょう。クルド問題解決のための諸政策によって、トルコにおいて腐敗を深刻化させたのと同様、クルド人に対しても苦難がもたらされた。この段階の後、続くことになる行き詰まり状況は、人々を深刻な争いの状態に至らしめ、力の損失以外何ら結果をもたらさないであろう。トルコにとってもクルディスタンにとっても、全ての視点から、(こうした状況は)瓦礫と破壊と認識されるであろう。クルド問題は、クルド人たちがクルド人としての権利を行使できないこと、(国家の中での)位置づけがなされていないこと、そして全ての要求が抑圧と暴力によって拒否されることに起因するのです。
■クルド人は、国家の中での位置づけがないまま生きることを望まない
クルド人は現状でクルドとしての存在を脅かす諸政策に直面し、国家の中での位置づけがないまま生きていくことを望んではいない。世界には、クルド人のように4000万人以上の人口をもち、しかしながらその権利がこれほどまで無視され、民族の存在が根絶されようとしているような人々は存在しない。クルド人として、否定と破壊政策に基づいて構築された「政治的位置づけの無視」を拒否し、自治権に基づいて、自分たちの社会的民主主義を築き、新しい地位を獲得したいと思っている。我々は自分たち自身を統治する力と意思があることをここに述べます。
民主的自治とは、ただクルド人のためだけでなく、トルコに住むすべての人々が、信仰と文化を自由に表現し、自分たち自身を導く一つの解決モデルです。
■我々の自治を宣言します
民主的自治とは、一つの国家をこわし、新しい国家を作ることではない。同時に、一つの国家システムでもありません。人々が、国家ではなく、自身の土地に存在する自治政府に参加するシステムです。女性と若者をはじめとして、あらゆる人々がそれぞれ民主的に組織化され、政策を、自身の議会で直接にそして「自由で平等な市民」を原則に作り上げることを意味しています。したがって、真の力と真の資格という原則を根本に据えるのです。民主的自治とは、国境やシンボルを変更することではなく、共通の国境線の中で、地域の人々の価値が受け入れられ、共通の価値観において築かれた新しい社会的合意、それ自身なのです。
こうした原則に基づいて、すなわち、上述の歴史的な時代の風を受けつつ、国際人権規約が定義する諸権利に照らし合わせて、共通の祖国という理解に基づく領土保全および民主的国民という視点に基づいて、諸集団(民族)からなるトルコ国民としての一体性を固守しつつ、クルド人として、『民主的自治』を宣言します。我々は、民主的自治計画の提唱者で、クルド人のリーダーであるアブドゥッラー・オジャラン氏が、民主的自治に基づいて民主的トルコの建設のために、より多くの貢献ができるよう必要な条件が満たされることを望んでいます。
(以下の言葉は)この宣言に基づき、自由のための歩みを長い間自己犠牲を払ってまで推し進めてきた我らが仲間への呼びかけである;7月14日(フランス革命)という歴史的抵抗の精神から力を借り受け、正当なる我らが訴えの中で、われわれが失ってしまった若者たちを追憶しつつ、自治の地位を獲得するよう、そして自治区建設のプロセスへの参加を推進するよう呼びかける。我らがクルドの良心である知識人、作家、市民社会の代表者、そして政治家、端的に言えば、我々の土地に住む全てが自身を民主的自治クルディスタンの民と認識し、宣言することを呼びかける。兄弟であるトルコの人々をはじめとして全中東の人々と共に、歴史的な紐帯を、改めて平等に基づいて構築することを呼びかける。
■トルコの人々に団結の呼び掛け
これは兄弟であるトルコの人々への呼びかけである;何百年間も一緒に住んでいたことで、歴史的共通性が与えた力により、クルド人の自由に生きるという強い願いに基づいて宣言された民主的自治に対するその責任ゆえに、団結に参加することを我々は呼びかける。これはクルド人の全ての友人への呼びかけである;今日まで、すべての段階において、我がクルド人と団結し、辛さと同じくらい喜びをも共有した社会主義者、民主主義者、リベラル派、信仰深い人、フェミニスト・グループ、各組織や個人たちが、この誇らしいプロセスにおいても、我々と共にあること、そして団結することを呼びかける。
1921年議会の精神をもって準備され実施される議論により、決着がつくであろう民主的憲法のテキストにおいて、民主的自治がクルド人のステータスとして認知されるよう、呼びかける。
我々クルド人の民主的な統一と自由に生きるという強い願いにおいて、民主的自治の宣言は大きな進展の機会となるであろうと希望し確信するとともに、この民主的自治の宣言が、我々クルド人に、トルコの人々に、中東と世界の人々に、そして全ての未来の人々にとって誉れとなることを願っています。
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:23272 )