Fikret Bila コラム:クルド問題―首相、方針変更示唆
2011年07月16日付 Milliyet 紙
ディヤルバクルのスィルヴァン郡で13人の兵士がPKK(クルディスタン労働者党、非合法組織)によって殺された事件によって、選挙に向かって形成されてきた雰囲気が振り出しに戻った。PKKは自分本意の行動を続けることを示した。選挙の前の脅しがうそでないことを証明しようとしている。
武装行動を継続する一方で、政治的な一歩も踏み出している。13人の兵士が殉職した日に、「自治」が宣言されたのが直近の例だ。
PKKがカンディルで出した声明と、平和民主党(BDP)と民主社会会議(DTK)が同時に出した声明との共通点は、選挙後にクルド人に憲法上の身分が保障されない場合、テロ行為がエスカレートするだろう、そして自治が宣言されるだろう、ということであった。
■PKKの戦略変更
PKKが戦略を変更したことがオジャランの口から明らかにされた。彼らは、独立を諦め、民主共和国を目指すと宣言した。クルド人に憲法上の身分を保障すること、そして南東地方を憲法上の保障のもとで自治区にすることは同一線上の要求である。
独立という目標を諦めたと述べるオジャランとPKKは、新しい戦術として合法的に自治を手に入れることを視野に入れた。自治の要求は、新戦略の最優先目標である。この目標に近づくために地方行政や国会において足掛かりを得ることに重点が置かれ、前進した。
「新憲法」の中に居場所を得るという期待のもとで進められている戦術は、武力に依拠しながら、強硬な主張に転じたという状況である。「あなた方が与えなくても我々は勝ち取る」という考えのもとでの自治の主張は、それ以外の何者でもない。
■ BDPにおける影響
PKKのテロのエスカレートと自治の主張(が生んだ)政治的な結果のひとつは、BDPがアンカラで埒外に置かれるということである。PKKの攻撃や自治の主張は、BDPが選挙後に新憲法を見越して作ろうとしてきた関係を駄目にしてしまった。PKKは、BDPの影響力や地位をどん底に落としてしまった。PKKは、BDPが「政治的仲介人」になろうとしてきた土壌を排除してしまった。
■エルドアン首相からのメッセージ
PKKの攻撃と自治の主張による重大な影響の一つが、タイイプ・エルドアン首相による昨日(14日)の会見に見受けられる。首相の以下の言葉を注意深く読むべきである。
「もし、彼らが平和を望んでいるのなら、求めているのなら、たったひとつのことをすべきだ。それは、もう一度テロ組織が武器を手放すことだ。武器を手放さない限り、軍事作戦は終わらないし、プロセスも進展しない。今後のプロセスは、異なる戦略と行動で表れるだろう」。
■テロとの戦い
問題を解決するための二つの根本的な方法があった。一つ目は、イムラル島(のオジャラン)と面会してPKKをコントロール下に置くこと、二つ目は、同時に解決策を展開して、PKKの社会的・政治的支持を最低にし、(若者が新たな兵士として)山に登ることをやめさせることである。
この二つの政策は、テロとの戦いの武装面を後退させ、経済・社会・文化・法・政治面を前面に押し出してきた。政府は、この分野で今まで踏み出された、そして今後踏み出される方策を「解決策」と名付けていた。この取り組みは、第61代内閣において副首相レベルで別の大臣枠を作るほど重要視されていた。
しかし、PKKの出した答えは、兵士や警官への攻撃と自治の要求だった。
PKKが武力に訴え、要求をテロを用いて主張することは、アンカラが重きを置いている新憲法のような法律上の、また妥協の模索のような政治的取り組みから、再びテロとの戦いに向かうことに道を開きかねない。この方向での(戦略の)変化、イムラル島との接触も、BDPの政治的立場と役割に影響を及ぼすだろう。
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( 翻訳者:小松裕美子 )
( 記事ID:23290 )