イスタンブルの名物飲み屋Refik のレフィック爺さん、死去
2011年07月16日付 Milliyet 紙
トルコ人ジャーナリスト達が世代をこえて常連であった、イスタンブルのアスマルメスジトにある名物飲み屋レフィック・レストランの創業者「レフィック爺さん」がその生涯を閉じた。トルコ人ジャーナリストらのたまり場の一つであったレフィックは、店の名物オヤジを失った。
ヤークップと並び多くの数の新聞記者達を、自身の名を冠した店で何十年ももてなしていた88歳のレフィック・アルスラン氏の遺体は、今日タラブヤモスクにおいて葬儀が行われた後、埋葬される。
62年前、ソフヤル通りに最初の酒場を開いたヘムシン出身のレフィック爺さんは、この文化をトルコに広めた先駆けであった。
レフィック・アルスラン氏は共和国と同じ1923年生まれであるが、ニューヨーク・タイムズ紙のベテラン記者で、イスタンブル支局長ステファン・キンゼル氏は、2000年共和国大統領選で彼こそ候補者であるとし、キンゼルをして「私の候補者はレフィック爺さんだ」と言わしめた。
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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:23298 )