オゼル大将は昨年の高等軍事評議会で陸軍司令本部長へ推薦された。しかし、この職務へ任命されることで参謀総長への道が閉ざされるという理由で、この提案はギュル大統領により否認された。
参謀総長へ任命される見通しの陸軍司令本部大将ネジデット・オゼル氏と関係し、今日の事態を予測させる議論が昨年の高等軍事評議会にて行われた。オゼル氏は軍警察総指令本部長へ任命され、トルコ軍の慣例で2011年に陸軍司令本部長、2013年には参謀総長に任命されると期待されていた。しかし、昨年の高等軍事評議会において陸軍指令本部長職に関連した危機がおこりオゼル氏は当時の参謀総長イルケル・バシュブーにより陸軍司令本部長へ推薦された。この推薦はオゼル氏の「参謀総長への道が閉ざされる」という理由でアブドゥッラー・ギュル大統領により否認された。これによって、政府が、オゼル氏を前向きに評価しており、2013年に彼が参謀総長になるようお膳立てをしたとの観測が行われた。
■政府は、オゼル氏を好意的にみていた
オゼル氏は2008年から2010年の間テロと戦いで非常に重要な任務をになっている第2軍事司令部で大きな成功をおさめ、軍だけでなく政府の賞賛をも勝ち取った。オゼル氏が昨年のマラティアの第2軍事司令部退任式で行った演説は大きな反響を呼んだ。オゼル氏は演説で次のように述べた。
「任期中のテロとの闘争は完全に法に則って行った。法から外れた一切の行いは許可しなかった。いいかえると、全く何についても隠さなかった。それゆえ、心は穏やかである。」
コシャネル参謀総長がエルダル・ジェイランオール陸軍司令本部長と共に2月20日、ハスダル軍事刑務所に収監されている「2003年クーデター計画」訴訟の容疑者たちを訪問した際、ハサン・アクサイ空軍司令本部長と軍警察ネジデット・オゼル指令本部長が参加しなかったことは注目を集めた。
オゼル陸軍指令本部長は、1950年アンカラに生まれ、1969年に陸軍学校、1970年に歩兵学校を卒業した。1995年に陸軍准将、1999年に陸軍少将、2003年に中将、2007年には大将へ昇進し、エーゲ軍司令本部を経て2008年に第2軍総司令官に任命された。妻はネリマン・カムラン・オゼルさん。英語に堪能。一子あり。
■退職する軍人たちの人物像
*コシャネル参謀本部長―「あの職は名誉なものである」と述べた
1945年イズミルで生まれた。1965年に陸軍学校を、1966年に歩兵学校を卒業した。1974年、キプロス侵攻に部隊長として参加し、イルケル・バシュブー前参謀総長とはそこで知り合った。参謀司令特別軍事行政本部長と参謀特別軍司令長を経験した。
エーゲ軍司令本部長と参謀司令第二本部長を務めたあと、2006年に軍警察指令本部長へ、2008年に陸軍司令本部長に任命された。2010年には参謀総長に任命された。参謀総長任期中に毎週行われていた通常会議を中止したことで知られている。
コシャネル氏は、昨年の高等軍事評議会前の、まだ陸軍司令官の任期中であった3月に、「一部の人々によると、イルケル・バシュブー参謀総長は、彼の任期中におきた(いろいろな)プロセスの点からみて、もっとも運の悪い参謀総長であると言われています。8月30日以降彼のいすに座ることになりそうだという事実は、あなたを怖がらせますか?」という質問に対して「あの地位は名誉です。そのような気持ちがありえるでしょうか?いかなる将校も恐れる、というようなことはありえません」と回答した。
*戦車をしきった司令官ジェイランオール 陸軍総司令本部長
トルコ政治歴史上で「民主主義への均衡」として記憶される「2月28日政治プロセス」事件で、装甲部隊学校・教育司令部長として任務にあたり、戦車を動かした司令官としてその名が知られた。1945年にカイセリで生まれたジェイランオール氏は、1992年に准将へ昇進した後、同階級で陸軍教育及び学校部門長と第39機械化歩兵旅団長となった。2007年に将軍へ昇進したジェイランオール氏は、陸軍司令本部長へ誰を任命するかについて軍と政府間で対立のあった高等軍事評議会で陸軍司令本部長へ任名された。今年で任期が終了したら退職する予定であった。
*キプロス侵攻へ参加―アクサイ空軍総司令官
1947年にイズミルのオデミシュで生まれた。1974年にキプロス侵攻へ参加した。1994年に准将へ、1998年に少将へ、2002年に中将へ昇進した。2007年に将軍階級を得た後、士官学校司令部長となった。2009年月25日付けで空軍司令本部長となった。2年の任期中、空軍軍人に対する訴訟が続き苦労した。ビルギン・バランル士官学校司令部大将の逮捕により任期が1年延期されると伝えられていたアクサイ氏は、ミッリエット新聞に対し「高等軍事評議会の後、行われた任命により私に2年の職務が与えられました。それ以外には何もわかりません」と述べていた。
*トルコ軍栄誉勲章受章者―イイト海軍総司令官
1945年イスタンブル生まれ。1964年海軍学校を卒業した後、海軍の様々な船で専門仕官、部門将校などの職務を務めた。DM-357IIの司令官を経て、1992年に准将へ昇進した。1992年から1994年の間、海軍士官学校司令官を務めた。その後イタリアで北大西洋条約機構基地基本計画局長となった。2002年には中将へ昇進した。2003年から2005年にかけて海軍司令本部長、2005年から2007年にかけては北部海域司令部長を務めた。2007年8月30日に海軍大将となった。トルコ軍栄誉勲章受賞者であるイイトは、結婚しており2児の父親である。
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( 翻訳者:磯邉菜月 )
( 記事ID:23513 )