「聖なる上衣」、ラマザン月の特別公開はじまる
2011年08月06日付 Zaman 紙


預言者ムハンマドが、聖人ワイス・アル・カールーニーへ贈った聖上衣が昨日(5日)から公開されている。

■修繕された聖なる上衣、今年も公開

聖遺物は経年劣化のため2009年に修繕に出されていた。必要とされる修繕が行われた後、昨年(2010年)に公開された聖上衣は、2011年もコーランの詩句や祈りの声のなか、ムスリムらとの対面をはたした。聖上衣の公開には市民らも深い関心を寄せており、預言者ムハンマドの神聖な聖上衣を一目見ようと、多くの人々が先を争って、神聖な雰囲気を堪能していた。

ムスリムらが心から待ち望んでいた聖上衣公開のセレモニーには、イスタンブルのヒュセイン・アヴニ・ムトゥル知事や、イスタンブル広域市のカーディル・トプバシュ市長、イスタンブル・県ムフティー・ムスタファ・チャールジュ、ファーティフ郡長、ファーティフ区長、聖遺物の相続人であるキョプリュリュ家をはじめ、数多くの市民が訪れた。
式では、キョプリュリュ家を代表しスピーチを行ったバルシュ・サミル氏は次のように話した。
「預言者ムハンマドが『夜の旅』に出た際に身に着けていたといわれるこの上衣を、彼がある羊飼いに贈ったとき、与えようとした言葉があります。私は、我々皆がこれを考え、そのメッセージをそれぞれが考える必要があると思います」

式でスピーチしたイスタンブル県ムフティー・ムスタファ・チャールジュ氏は、預言者ムハンマドが人類に残した多くの遺産や、尊敬すべき人々の霊廟が失われてしまっているという事実があるとし、我々はこの聖衣をはじめほかの遺産まで、かれらからの預かり物のすべてを、誇りを持って保持し、敬意とともに守っていくと話した。
同氏は、また式の参加者に向けての訓示をおこなった。「聖上衣の価値は、預言者ムハンマドの時代から我々のもとに送られた贈り物であるということです。聖衣から何らかの恩恵を期待したり、何かを望んだりするといった迷信を信じて、この遺物を傷つけたりするのはやめようではありませんか」

■1500年来の遺産

預言者ムハンマドのものとされる聖衣は、イスタンブルで2着がみつかっている。うちひとつはトプカプ宮殿の「幸福の聖衣」あるいは、「幸福のマント」と呼ばれるもの、もうひとつは、聖人ワイス・アル・カールーニーに与えられ、相続によって今日まで引き継がれたファーティフ地区の聖衣モスクに保管された聖衣である。聖人ムハンマドが夜の旅に出た際に体にまとったといわれる聖衣は、預言者ムハンマドの遺言にのっとり聖人アリと聖人オメルの手で聖人ワイス・アル・カールーニーに贈られた。
聖衣は聖人ワイス・アル・カーニが未婚で子供もいなかったため、死後、弟のシハベッディン・アル・ユヴェイシに渡った。その後1500年来の遺産は、今日、聖人ワイス・アル・カールーニーから57代目に当たる子孫ハーシム・キョプリュリュ氏夫人ヌーリイェ・キョプリュリュさんに渡り、ヌーリイェさんが2005年に死去してからは、娘のギュライ・キョプリュリュさんに相続された。

同家は1600年代初頭スルタン・アフメト1世の要請を受けてイスタンブルにのぼり、聖衣は、シュクルッラー・アル・ユヴェイシがファーティフ地区周辺に借り上げた家屋で、人々に公開されていた。この場所が手狭になったことから、アブデュルハミド1世が現在の聖衣モスクの中庭に位置する場所に部屋を建設。1780年以降、聖衣はこの場所で展示され続けていた。来訪者の増加にともなってこの部屋も手狭になり、1847年にスルタン・アブデュルメジドが聖衣モスクを建設すると、聖衣は今日のような形でここに展示され、ワイス・アル・カールーニーの血筋を引く一族のもとに、その管理責任はおかれている。

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:23557 )