Akif Bekiコラム:エリフ・シャファクでも、シェークスピアでもー著名作家の苦労
2011年08月09日付 Radikal 紙

妬み、嫉み、嫉妬!あなたがエリフ・シャファクでなく、シェークスピアだったとしても、こうした忌まわしい感情からは逃れられない。

エリフ・シャファクは、小説『イスケンデル』(トルコ語で「アレキサンダー大王」の意味)を自分で書いたのだろうか?内容の盗用、組立ての模倣、登場人物を作り上げる際の着想、さらには本の表紙に盗作の痕跡があるだろうか?

文学批評なるものを隠れ蓑にして、文学価値のない探偵ごっこが続いている。問題は、小説『イスケンデル』が、ゼイディー・スミスの著した『ホワイト・ティース』と類似していることだ。最も重要な類似点は、二冊ともに、ロンドンが舞台であることだ。
「インスピレーションを得ることと、盗用は別物。エリフ・シャファクは盗用などしない。コンセプトとして影響されただけだよ」と言うこともまた、この他愛ないおしゃべりに議論の空気、ある真面目さを加えることになる。
妬み、嫉み、嫉妬!あなたがトルコのエリフ・シャファクでなくて、英国のシェークスピアであっとしても、こうした忌まわしい感情からは逃れられないだろう。病的であることは確かであるが、しかし苦労したことがぼろぼろになってしまったら、作品の真正性が問われたら、作家はどうして冷静でいられよう。不当と非情に対し心曇らせない者がどこにいるだろうか!
エリフ・シャファクは、日曜日の新聞コラムでこの憶測に対して回答した。
トルコで作家であることがどういう意味をもつのか、次のように説明している:「『本の表紙でスーツを着た男の写真がある。つまり表紙は盗作だ』という言葉を聞くことです。『小説にロンドンで暮らす移民家族が登場し、彼らも窓から外を見ている(ありふれた場面の一例として)。つまり450ページに及ぶこの小説は盗作だ』という主張に遭遇することです。言われたり、書かれているような多くの事実無根の言葉を、ほとんどの場合は笑ってやり過ごすことです。気にかけないことです。でも時々笑えずにしゃくりあげて独り大泣きするということです」。

分かったことは、つまりトルコで作家であることは難しい手仕事である。だからといって、英国においては簡単なのだろうか。エリフ・シャファクであることは難しいことだが、シェークスピアであることは簡単なのだろうか。死去して何百年経った後にも、今日眠っている場所で彼には未だに安らぎがない。作品への憶測話は、墓場までも彼を追う。
シェークスピアについて「盗作」と言うでたらめ話の滑稽さを、やはりウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールから聞かないといけない。2人は対談の中でこの話題に触れている。後は『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(邦題)という本より引用する。
「シェークスピアの作品はシェークスピアが書いたのだろうか?ホメロスはホメロスだったのだろうか?」等々…。

J=C.C:
シェークスピアに関する私の思い出を話しましょう。文化革命直後、北京にいたときのことです。ホテルで朝食をとっている時、英語版の「チャイナ・トゥディ」紙に目を通していました。その朝、一面の7つの欄のうち、5つがセンセーショナルな事件に割かれていました。英国では専門家たちが、シェークスピアのいくつかの作品は彼のものではないと発表していたのです。記事を急いで読んでみると、問題の大本は、彼の戯曲に散見される数行であることが分かりました。さらに、問題の行はそれほど興味深いものではありませんでした。
夜、二人の中国学研究者と夕食をとった際、(朝に)驚いたことを彼らに説明しました。シェークスピアについてのニュースにもならないニュースが、「チャイナ・トゥディ」紙一面ほとんどを埋めることが出来るものでしょうか、と。この質問に、中国学研究者の一人はこう話しました。「あなたは中国にいることを忘れてはなりませんよ。つまり、文字は昔から権力と関係があり、(文字が)全ての基礎を作り上げている国にいるということです。西洋、そして恐らく世界で最も偉大な作家の身に何か起きたとなれば、新聞の一面で5つの欄を占めるのは当然のことでしょう」と。

U.E:
シェークスピアの作品の真正性を証明する、あるいは根底から覆す研究書は数えきれない程あります。私の手元にはこれらの主要なコレクションがあります。少なくとも最も有名なものです。この議論は、「The Shakespeare Bacon Controversy」(シェークスピア=ベーコン説)という名付けられています。過去に一度、からかい目的で笑い話を書きました。これによればシェークスピアの全作品がベーコンによって書かれていたとしたら、ベーコンには自分の作品を書き上げる時間は全くなかったでしょう。ということは、ベーコンの作品は、シェークスピアが書いたということになるのです…。

地球が回っている限り、成功の後にはあたりかまわずのおしゃべりが付いて回る。悪に慣れてはいけない。だが本来は、「これらはつまらない戯言だ」と言えないといけない。なぜなら、これは良いことを行う代償であるのだ。この世でも、あの世でも平安はないのだ。エリフ・シャファクには未だ試練が待ち受けているだろう。

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( 翻訳者:石川志穂 )
( 記事ID:23593 )