殉職者の葬儀、遺体の取り違えから混乱—ハッキャーリ爆弾事件
2011年08月19日付 Hurriyet 紙
葬儀が中止となり、用意された国旗も回収された
葬儀が中止となり、用意された国旗も回収された

水曜日にハッキャーリ-チュクルジャ間の国道でPKKのテロリストらが軍の隊列に対して行った対戦車地雷とロケット砲による攻撃で殉職した兵士のうち、今日ヨズガトで行われる予定だったエルハン・アル上級軍曹の葬儀が延期された。ヨズガト県のネジャティ・シェンチュルク県知事は、DNA検査で、遺体がエルハン・アル上級軍曹のものではないと明らかになり、このため葬儀が中止されたと話した。

チュクルジャでの襲撃によって殉職したヤヴズ・バシャヤル少佐とエルハン・アル上級軍曹の遺体がDNA検査の後に土葬されることが決定された。そして二人の殉職者の近親者から採取されたサンプルでDNA検査が行われた。バシャヤル少佐の遺体のDNA検査が行われている間、もう一つの遺体がエルハン・アル上級軍曹のものでないことが明らかになった。バシャヤル少佐の葬儀はアンカラですでに執り行われた。

■ヨズガトでの葬儀は中止

今日、ヨズガト県イェルキョイ郡で執り行われる予定だったエルハン・アル上級軍曹の葬儀のために、準備はすべて整えられていた。
ヨズガトのネジャティ・シェンチュルク県知事は、昼にイェルキョイ郡を訪問し、金曜礼拝に参加するために、殉職者らに向けてメヴリトが詠まれるメルケズ・チャルシュ・モスクに向かった。集まった人々に説教するイェルキョイのムフティーであるアフメト・イクバル・アイドゥン氏が、(当日の)午後、殉職者の遺体が郡に到着すると述べたことに関して、シェンチュルク県知事はマイクで、アンカラの法医学協会で行われた検査の結果、遺体がエルハン・アル上級軍曹のものであるという証拠が見つからなかったこと、よって本日の葬儀は中止になることを発表した。

トルコ国旗に包まれた息子の棺を待つ、メディネ・アルさんやムスタファ・アルさんをはじめとしたエルハン・アル上級軍曹の近親者らは、葬儀が中止になったことで再び泣き崩れた。エルハン・アル上級軍曹の家で緊張が続く間、葬儀のために駅前広場に掲げられたトルコ国旗は消防士らによって下ろされ、警官も、葬儀のためにしいていた警備を解いた。

現在、アンカラ法医学協会に安置され、DNA検査でエルハン・アル上級軍曹のものでないことが明らかになっている遺体が、誰のものであるのかを明らかにするため、チュクルジャでの攻撃で殉職したヤヴズ・バシャヤル少佐以外の6人の殉職者の近親者からDNAのサンプルが提供されることになっている。これによって、法医学協会にある遺体が誰のものであるのか、そしてエルハン・アル上級軍曹が間違えてすでに土葬されてしまったのか、それともいなくなってしまったのかが明らかになるだろう。

■知事は、エルハン・アル上級軍曹の家族を訪問した

ヨズガトのネジャティ・シェンチュルク県知事は、ハッキャーリでの攻撃で殉職したことが明らかにされたが、法医学協会での検査において彼の遺体に関する情報が全くが見つからなかったエルハン・アル上級軍曹の家族を訪問した。

イェルキョイ郡にあるメルケズ・チャルシュ・モスクでの金曜礼拝の後、アル上級軍曹の家を弔問のために訪ずれたシェンチュルク県知事は、アル上級軍曹の近親者らと面会した。県知事は、「検死の結果によれば、エルハンさんの遺体に関するものは出てこなかった。現在、友人たちの対応を待っている。このことについては、真実をトルコ国軍が明らかにしてくれると信じている。なぜなら、彼らの持っている情報は、より確実なものであるからだ」と話した。
シェンチュルク県知事は、神によって望みは絶たれないと述べ、国民に忍耐と平穏を呼び掛けた。
MHP(民主主義者行動党)の副党首とヨズガト県選出の国会議員であるサディル・ドゥルマズ氏も、シェンチュルク県知事及びエルハン・アル上級軍曹の近親者と面会した。
エルハン・アル上級軍曹の父親であるムスタファ・アルさんと母親のメディネ・アルさんは、家の前に常に待機している医療チームによって治療を受けている。またエルハン・アル上級軍曹の妻のアイシェギュルさんと息子のムスタファ君(6)と娘のヤレンちゃん(4)はアンカラにいると明らかにされた。
アンカラからハッキャーリに赴任したエルハン・アル上級軍曹が、首都で共に任務についていたかつての同僚らも彼の家族を訪問した。

■「お母さん、僕は殉職しなかった」

昨日、似たような事件がカイセリでも起こっていた。チュクルジャでの攻撃でサデッティン・アルスラン上級軍曹の名前が殉職者の中にあった。しかし、攻撃にあった者たちとともに任務についており、15秒の違いで生き延びたと話すサデッティン・アルスラン上級軍曹は、昨日、機会を見つけて母親のジェンネト・アルスランさんに電話をした。そして、「お母さん、僕は殉職していない、生きている、攻撃の時はそこにいたが、鼻からすら血は出ていない、心配しないでくれ」と話した。

カイセリのユルドゥズエヴレル地区に住んでいる家族は、婚約中の息子の名前が殉職者の中にあるのを見つけ、深い悲しみに暮れていた。しかし、軍関係者らが、全ての殉死殉職者の家族に悲しい知らせを伝える一方で、アルスランの家族の家にはその知らせが届かなかったことで、サデッティン・アルスラン上級軍曹が生きていることが明らかになった。
母親のジェンネト・アルスランさんは、息子のサデッティン・アルスラン上級軍曹の声を聞いてやっと、生きているのを信じたと話した。息子が生きているのを嬉しく思うと話すジェンネト・アルスランさんは、しかしながら、息子の戦友が殉職したのをとても悲しく思っており、母親たちを悲しませないためにも、今後テロをなくすために必要な策が講じられるべきだと話した。

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( 翻訳者:小松裕美子 )
( 記事ID:23696 )