歴史的モスク、改修したら教会に―イズミル県チェシュメ・アラチャト町
2011年08月23日付 Zaman 紙


イズミル県チェシュメ郡アラチャト町にある歴史的なパザルイェリ・モスクが修復されたが、その結果は人々を驚かせた。

このモスクが教会であった時代から残っていた像、図画、彫像、懺悔室などが再び日の目をみる一方で、モスクに不可欠なミンバル(説教壇)、キュルシュ(説教席)、マフフィル(コーラン読誦者用の座席)は設置されなかった。葬儀の棺をおく台(ムサッラー・タシュ)もなければ、清めの水洗盤(シャドゥルヴァン)もない。イズミル県宗務局は、このモスクの状況を確認し、問題とするレポートを作成した。郡宗務局は、とりあえず臨時の説教壇をおいて事態の収拾をはかった。県特別行政局から確保した予算でこのモスクの修復を実施した共和人民党所属のムヒッティン・ダルグチ町長は、「悪意があってのことではない。不足しているものは補われる」と語った。


町の最も古い歴史的な建造物であるアラチャト・パザルイェリ・モスクは、1874年にユハンニス・ハラパス氏によってアイオス・コンスタンティノス教会として建設された。共和国初期にアタテュルクによってモスクに転用された。しかしモスクは放置され、ほとんど廃墟と化していたが、2009年9月にアラチャト町が修復作業を始めた。しかし、この修復作業は信徒の人々を満足させるものとはならなかった。教会時代に作られていた大理石の柱の上の像、図像、彫像、懺悔室などが再び日の目をみる一方、説教壇をはじめとするモスクに固有の部分は無視されたためだ。

モスクを検証し不足分を確認したイズミル県宗務局は、2010年9月29日付で報告書を作成した。報告書は、モスクの状況を再現している。イズミル県のジャーヒト・クラチ県知事にも提出された検証報告書には次のようにある。

「修復以前におかれていた説教壇や説教席は、モスク内部に不可欠な要素であることから、再び設置されることが必要と認められる。左側にある懺悔室は、モスクにあってはならないものである。(懺悔室は)建物の建築様式に即し、美的にも美しく、訪問者がきたときには開かれるが、その他のときにはしまい込まれる仕組みにすべきと認められる。修復前にあった清めのための場所は、中庭のどこか適当な場所に、新たに設置されるべきである。」

モスクの所有権は、アラチャト町に属していると述べる郡宗務長のヤフヤ・アクマン氏は、モスクの外側部分の修復には満足しているが、内部には問題があると語る。礼拝の向きを示すミフバルに全く修復の手が入っていないと指摘するアクマン氏は、ミフバルのペンキがはげているという。同氏は、「モスクは徹底的に修復されたのに、ミフラブにはペンキの1塗りもされていない。修復前には、説教席、説教壇、ミュエッジン(礼拝呼びかけ人)のマフフィルには専用の礼拝スペースがあった。説教席、説教壇は持ち出されてしまった。修復プロジェクトには、これらは含まれない、といって、元の場所に戻されなかった」という。

アラチャト町の人口は1万だが、夏にはリゾート人口で10万人に増えるという県議会の公正発展党議員アリフ・バラタ氏は、(ペンキのはげた)ミフラブの状況には心が痛むと述べた。県特別局から約200万リラの予算が投入されたと強調するバラタ氏は、健全な修復が行われなかったと批判する。バラタ氏は、モスクに関し不足の部分がある理由がここが「環境特別保護区」であることなら、なぜ教会に関する部分では問題なかったのか疑問だという。そして、こうした対応は、周囲の信徒の人々を深く傷つけたと述べる。

一方、モスクとしての不足分はまもなく補われると語るアラチャト町長のムヒッティン・ダルグチ氏は、「悪意があるわけでない。不足を補うように指示をだした」と述べた。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:23731 )