政党間で恒例のバイラム訪問
2011年09月01日付 Zaman 紙

政治家たちの間で恒例となった政党間のバイラム訪問で、改めて政治について話された。公正発展党(AKP)と共和人民党(CHP)間のバイラム訪問では、新憲法と「和解」のメッセージが与えられた。

共和人民党のギョクハン・ギュナイドゥン副党首を代表とした代表団が、公正発展党を訪問した。ギュナイドゥン副党首は、「国民の希望に沿う共通の憲法を策定するという考えは、我々全員が持っている。これを、和解と社会的合意によって実現することは、我々全ての願いである」と述べた。ホストとして話した公正発展党のサリフ・カプスズ副党首は、「直近の選挙で、国民は皆に共通の責任を課した。我々の述べた憲法とは、つまり社会的契約であり、我々の目的は、共通の知恵を提示し、共に働き、よい憲法を作ることだ」と話した。

共和人民党はバイラム訪問の迎え入れを早い時間帯から始めた。ビルギュル・アイマン・ギュレル共和人民党副党首は、まず、民主左派党(DSP)の代表を迎え、公正発展党の代表団の後に、同党の議員たちを招き入れた。公正発展党のイドリス・シャーヒン議員の、「神に感謝します。最近の我が国の安定により、トルコは周辺地域でとても重要な強国となりました」との言葉に、ギュレル副党首は、「あなたが安定と述べた事柄において自由が制限されれば、この状況のよりどころは厳しい状態に陥る」と返した。シャーヒン議員はこれを受け、「自由が大きく認められた状態、それが我が国の今の状態だ」と言葉を続けた。ギュルレル副党首も、「つまり、政権側からはそう見えるのでしょう。しかし最近流された血は我々全てをとても悲しませた。(このような状況では、)そのような大きな平穏や安定が実現していると述べるのは難しい」と返答した。一方で、共和人民党におけるバイラム訪問の迎え入れの場では、民主党(DP)の代表と、公正発展党が50%の票をどうやって獲得したのかが話された。ギュレル副党首は、「50%は、選挙の前に多くの融資をばらまいたことによる」と主張した。

公正発展党の代表が民族主義者行動党(MHP)に対して行ったバイラム訪問では、「ソマリア」論争が起きた。民族主義者行動党のムスタファ・エルデム議員は、「ソマリアに対して見せた思いやりが我々の殉職した兵士の家族たちに向けられていないことは、民族主義者行動党として、見過ごせない。少なくとも、テレビで行われたこのキャンペーンと同様のことが亡くなった兵士の家族たちのために行われることを願っている」と述べた。エルデム議員のこの評価に対して、公正発展党のゼルキフ・カズダル議員は以下のように返答した:「亡くなった兵士は家族や子供たちを、我々に託したのだ。これらの人々を、我々は必ず保護する。」

また、民族主義者行動党は、大統一党(BBP)へのバイラム訪問を行わなかった。大統一党のムスタファ・デスティジ党首は、引っ越しのため、18年間の歴史に幕をおろす予定の党総本部において、最後となる諸政党とのバイラムを祝い合った。同党首は「彼らが分離主義者たちと手を取り合って行くなら行くがいい。クルド労働者党(PKK)の政治組織とともに笑い合い、戯れ合うのを続ければいい。しかし、我々は民族主義者行動党の兄弟たちとバイラムを祝い合う」と話した。

■バイラムでは平和民主党(BDP)の門は閉ざされたまま

様々な行動でしばしば話題に上る平和民主党は、ラマザン・バイラムを「バイラム訪問をせずに」過ごした。平和民主党の指導部は、テロ組織に対する軍事作戦を理由に、バイラムに関わるどんな催しも行わず、参加もしないことを決めた。バイラム期間中、総本部の扉は閉じられた。政党内でのバイラム訪問と党の地方組織で行われる予定だったプログラムは中止された。さらに政党からは、ラマザンと8月30日の戦勝記念日に対するなんのメッセージも発表されなかった。

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( 翻訳者:能勢 美紀 )
( 記事ID:23816 )